1960年代、四国は観音寺、
そこにはキラキラとした青春が息づいていた。
ロックに魅せられた<ちっくん>とその仲間たちは
バンド『ロッキング・ホースメン』を結成、
高校の三年間という熱き時間を疾走していく。
楽器を手に入れるためのアルバイト、
練習、合宿、友情、恋、出会いと別れといった、
誰もが経験するような、しかし誰のものとも違う
かけがえのない青春がそこにはあった!
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
古典的先住民姿の少女が語る、いつとは知れない、しかし先祖代々伝えられてきた物語ーその年は天候不順で食糧の蓄えができないまま厳しい冬がやってきた。危機に瀕した集団のリーダーは、口減らしのため、お荷物となっていた二人の老女を棄てる決定を下す。それは老人を敬い大切にする伝統に背く決断であった。彼らは食糧を求めて旅立っていく。棄てられた二人の老女は、悲しみ、恨み、怒り、そして絶望の淵に立たされる。しかし死
母の名は春、七十八歳。娘の名は秋、五十六歳。元映画女優の春は、生きることに奔放で、自由を謳歌して暮らしてきた。そんな春に振り回されてばかりだった秋。今日も今日とて、春が救急車で病院に運ばれたという報を受け、慌てて駆けつける秋。だがそれもまた、目立ちたがり屋の春の狂言だったのだ。あっけらかんと笑う春に、怒り心頭の秋。そして、いつものように母と娘の壮絶な口げんかが始まった。そんな二人の姿はまるで二人だ
昭和十六年、、若狭の堀口家では、当主文蔵の野辺送りが行われていた。うるし取りで一代の財産を築いたにもかかわらず、放蕩の血が、いつしか体内を蝕んでいたのである。そんなおりもおり残された妻りんのもとへ、二人の若者が訪ねてくる。文蔵が舞鶴の女に産ませた富吉と、弟の千太である。日陰の身であった下駄職人の富吉を憐み、りんは実母のような労りを見せる。富吉もりんの優しさに応え、下駄作りに励むのだったが、その心に
栃木から上京し旅館で女中奉公をしていた戦中、彼女には仄かに思いを寄せる陸軍少尉がいた。タヅは自分の気持ちを殺し、思い合っていた少尉と同僚とよの間を取り持とうと腐心していた。しかし少尉はサイパンで戦死する。その後タヅは結婚するも、夫は戦災のところに入り浸るなど、不幸な結婚生活を送る。二人の娘を授かるも夫は病死、女手一つで育て上げた。そして現在。タヅは何を思ったか、新婚4カ月で亡くなった次女の亭主・和