失うことが進化だとすれば、僕たちはこれからもどんどん失うだろう。
どんどん失って、いつかすぽんと消えてしまう。
失ってゆく、というのはどういう感覚なんだろう。
失いつつあるそのさなか、ひとはなにを思うのだろう。
忘れることと失うことはいったいどのくらい違うのだろう。
僕は毎晩僕の尾骶骨に問いかける。
ちいさな骨が寄り添うように集まった、その名残の部分に問いかける——
ひとりの男とその妻、女、母。それぞれとのダイアローグによって紡がれる会話劇。
六畳間での会話から、我々がどうしようもなく生まれて、生きて、死んでいくことについて、普遍的な視座をもって描かれる。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
身罷る 罷る(まかる)はまかり通る、まかり間違うなど、ご免こうむって勝手にやらせてもらうという、その動詞があらわす事柄を強める意味をもつ。
mimaculは、私たちが死ぬまでのあいだ、つまり生きていることの様々を思考し、あそぶためのジャンル横断流動ユニットである。舞台作品の制作を中心に展覧会、出版、レクチャーなども企画する。