【作品ノート】一言では収まらないほどたくさんの問題や出来事がいっぺんに やってきた2020年。全世界でコロナウイルスが猛威をふるい、ストレスや意見の違いが表面化し、分断や差別、ヘイト、ハラスメントがネットでも実社会でも横行しています。同時に、それらと向き合い、 戦う人も増えてきています。2019年に受賞した前作「亡命入門: 夢ノ国」は、差別意識と分断、コンテンポラリーダンス界の自明性 など、所謂「夢の国、日本」を扱いました。そして今回は、「声」に 焦点をあてます。 SNSで誰もが自分の意見や価値観を手軽に公開することができ るようになって十数年。声は、とても強い力を手に入れたように思 います。声はもとより、とても強い力を持っています。誰もかれも、 声を先頭にして、声を武器に、声を盾に、声を探して走っています。 今回は、舞台上で「声」にまつわる我々のジレンマを浮き彫りにし、 なんとかして亡命します。
...という思いでこの作品の創作を開始して数ヶ月、2021年1月7日 に2度目の緊急事態宣言が発令され、出演を予定していた6名の ダンサー、2名の音楽家の出演を見送ることになりました。(おお、 神よ!)出演者と既に創作していたものをソロ化し、私一人が舞台上 で表現します。参加するダンサーのほとんどが振付家ということも あり、ソロ化する際のアイデア出しからクオリティーチェックまで、 メンバー全員で行っています。8名のアーティストが創作にがっつり 関わっている、なんとも豪華なソロ公演です。 ここのところずっと悩んでいます。作品を上演するか、否か。劇場 に足を運ぶか、否か。 ある問題に対して2つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何ら かの不利益があり、態度を決めかねる、この「ジレンマ」という状態 が私たちの身近に急にやってきて、執拗に心を揺さぶってきます。 ご多分に漏れず、私も作品もこの厄介な「ジレンマ」というやつに 背後をとられています。ジレンマの不穏な気配を感じながら、頑張っ てジレンマに対して説明します。なぜ上演するのか、なぜ舞台で する必要があるのか、なぜこのような演出に変更したのか、なぜ 観客に見せるのか。 私たちはこれから、どこに向かっていくのだろうか。このような現状 にひるみつつも「ダンスってなんだろう」「なぜ踊るんだろう」「大切 なものってなんだろう」を考え続けていきたいです。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1913年に創建された倉庫をリノベーションした文化施設。コンセプトは「芸術文化の創造発信」と「賑わいの創出」。コンテンポラリーダンスやアートを柱に、新進アーティストを世界に発信している。フレキシブルな機能を持つホールとギャラリースペースを有し、ダンス等舞台芸術公演や展覧会、屋外広場でのイベント等を通じて横浜の文化と観光のハブ機能を担う。
【作品ノート】2019年頃に感じていた、何だか静かで人類が世界に退屈したような絶望感がある。それが前回の横浜ダンスコレクションで上演した「サイクロン・クロニクル」が纏っていた空気感でもあった。2020年2月以降、その絶望感が一気に沸点に達して吹きこぼれ、今も尚ぐらぐらと煮立っている。そして、その鍋の中に生成されているのはデカダン的な新たな終末感である。 その中で新しく作品を作ることになり、浮かび上
[作品ノート]ビッグバンから生まれた音や光、そして人体も含め、ほぼ全ての物質からは何かしらの振動が発せられ ている。僕たちが発するバイブレーションは世界にどのような影響を及ぼしているのか。人々がどの様な生活を営み、どういった環境で生きてきたのかがそのままバイブレーションとして音源 化される、もしくは可視化されるということなのかもしれない。そんな僕たちのアウラは、クジラを正しい道筋へ導いてあげること
作品ノート:丸山純子さんの《無音花》を初めて見た時、「ビニール袋がなぜこのような美しい花になるのだろう」ととても印象的でした。そして“再びよみがえる”という意味の “再生”という単語が頭に浮かびました。いちど死んだものがよみがえる。驚異的であり神秘的なことです。 個人的には過去になってしまった様々な感情が湧いてきました。今回の作品は『無・音・花』それぞれの文字がもつ印象、意味と象徴、そして《無音花
作品ノート:白い紙から何がうまれるか?神様は白い?苦労をすると白髪が増える?白という色の印象、言葉の印象、白い物の印象、白の魅力。真っ白なところに様々な白を重ねていく。カタチにならなさそうな白を、カラダでカタチにしていく。白から始まるすべてのもの。そして、そこから一人の人物像が浮き上がる。
