プロジェクト大山と田上パルによるダンスと演劇のコラボレーション。1940年に上演された『日本』三部曲に想を得て制作された作品です。1940年は、アジア初となる東京オリンピックの開催が計画された年です。しかし日中戦争の長期化によりやむなく中止されます。その一方で、この年には皇紀2600年を祝う様々な記念行事が催されていきます。第一線の舞踊家達が賑々しく集う『日本』三部曲もそのひとつ。平和の祭典が中止となった戦時、国家とダンスはどのような接点を持っていたのでしょう。そして2020年、新型コロナの世界的流行によって東京オリンピックは延期されました。私たちの生活は平時から一転し、大きく変わろうとしています。今、国家とダンスは、生活とダンスはどのような接点を持とうとしているのでしょうか。80年を経た歴史的ダンス公演を、プロジェクト大山流に読み解き、現代に読み替えていきます。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
大野一雄舞踏研究所のアーカイヴ活動を母体に、2012年として任意団体として発足し、2016年に特定非営利活動法人として設立した。大野一雄アーカイヴのノウハウとネットワークを拡張し、日本に横断的なダンスアーカイヴを構築することを目指して活動している。
舞踏アーカイヴプロジェクト
舞踏が舞踏と呼ばれる前、「舞踏ゼロ」の時代から活躍してきた齢80を越えるアーティスト3人の足跡を辿る。能楽師・清水寛二を案内役に、彼らの部屋に招かれているような空間で、本人の語りや映像上映、若手のパフォーマンスで過去を現在と未来へ繋ぐ。及川廣信は3か月後、大野慶人は7か月後にこの世を去った。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
演出家の生西康典が、土方巽のテキスト「病める舞姫」と「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」を演劇作品化した。2人の演者はほとんど動かずに土方の言葉を発し、それらの言葉が地下空間を震わせていく。静寂、言葉、電車の走行音をはじめとした空間内の音。そのなかで震える身体。その揺らぎが見る者に伝わり、それぞれの異なる経験、あたらしい物語を生み出していく。本作では、その「揺らぎ」を映像作家の掛川康典が映像
大野一雄、大野慶人を敬愛して止まないアノーニと、大野慶人とのコラボレーション。2010年に「Antony and the Ohnos」で初共演を果した二人は、その後ロンドンとサンパウロで再演を重ね、本作で再び相見えた。「たしかな心と眼」の冒頭、舞台上のスクリーンにウィリアム・クラインが1961年に撮影した土方巽、大野一雄、大野慶人の写真が投影され、舞踏の創世記を活写したイメージの中から大野慶人が登
大野一雄の踊りを生では見たことがないという川口隆夫が、アーカイヴに残された映像記録から大野一雄の踊る形を完全コピーして再構成。2013年初演以降の7年間で世界38都市で上演され、2016年のニューヨーク公演はベッシー賞にノミネートされた。