(チラシより)
26歳のときに書いた作品を、リユースして再構築してみようとおもうのだが、これに至るまではいろいろあった。マームとジプシーのこの三年間は、自分たちの過去に発表した作品をある意味、否定していく作業でもあった。とめどなく湧きでてくる、興味と。どうしようもなく拡大されていく、規模。どんどんと速くなっていく、スピード。取り巻くぜんぶのことにアプローチしていくときに振り返ってはいけなかった。振り返らずに、旅をしてきた。しかし去年のいつだったか、すこし立ち止まってかんがえる時間があった。疲れていた。ぼくだけじゃなくて、マームとジプシーが。たぶん、疲れていた。ぽつぽつと、みんなと話す時間があった。はじめて、過去の作品のことを話した気がする。そのときの、なんか、手触りみたいなのって。帰りたい、みたいな感覚と似ていた。この三年間で、生まれた家が壊されて道になった。飼っていたネコの、モモが死んだ。親もみんな、確実に年を重ねている。ぼくも今年、29歳になって20代最後の年を迎える。もう、振り返らないとおもっていた。帰らないとおもっていた。旅をつづけなくてはいけないから。でもでも、待っていてほしいともおもうのだ。もう、なくなってしまった家に。モモに。待っていてほしいともおもうのだ。旅しながら、帰る場所を探して彷徨っている。そのことすべてを、空間として。そこに漂う、波長を。生みだしたい。生みだした先には、また。旅。旅しかないこともわかっているけれど。
2014.4.3 藤田貴大
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。2012年よりオリジナルの演劇作品と並行して、他ジャンルの作家との共作を発表。あらゆる形で作品を発表し、演劇界のみならず様々なジャンルの作家や観客より高い注目を受けている。
(パンフレットより)「マームとジプシー的、真夜中の考察と、季節の移り変わりとは無関係に、移行していく真夜中のイメージ。で、朝は訪れるのか、どうか、っていう。」というわけで、今回は、真夜中、という時間にだけに取り組んだ、でもしかし、果たして、この真夜中に、朝は訪れるのか。今夜もまた、夜が明けないまま、朝を迎えることになるのだろうか。僕は、これからも、終わることのない真夜中、を、行くのだろうか。また、
2014年に小説家・川上未映子のテキストを用い、青柳いづみ出演で「まえのひ」を上演。その第2弾となる本作は、川上の詩集「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」「水瓶」より、主に7篇の詩を使用して、6つの演劇を立ち上げた。各作品の衣装を6人のクリエイターやファッションブランドが担当。
2013年に演劇作家・藤田貴大率いるマームとジプシーは、漫画家・今日マチ子「cocoon」を原作に、沖縄戦に動員される少女たちに着想を得て製作・発表した。2022年の再再演では東京公演が一部中止になるものの、全国9都市での上演を果たした。本作は、マームとジプシーがどのような思いで沖縄と向き合い、3度目の上演に取り組んだかを描く。製作過程や公演中止を判断した場面を中心に、今の時間を取り入れ描いた映像
(チラシより)どこからともなく届く光は、自然から成されたものではないことは解っていた。いつかの誰かが、誰かへ向けて発した光だった。ある人は、その光を見て見ぬふりをした。ある人は、その光自体を無いことにしようとした。しかしわたしには届いていた。届いたからにはわたしからも光を送りたくなった。届く光に微かな瞬きを感じた。光が在るということは、その傍には誰かがいるはず。光の合図は確実にここまで届いている。