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コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、内容/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
YAMADA Un Co.
本作は東京芸術劇場で映像作品を作って有料配信し、劇場公演は地方でのみ行われた。 木々や花が溢れる庭で男女が踊るロマンティックなデュオから、無機質な病室でのダンス等、「視聴者の視線を強制的に導く映像の強み」を活かしている(むろん映像にあることは基本的に舞台上でも行われている)。 山田は「2020年のオマージュ」が本作のサブテーマだといっているが、それはコロナ禍や、延期された2020年東京オリンピック
二兎社公演41
人気報道番組の放送開始まであと数時間。ある”懸念”をきっかけに、現場は対応に追われ始める。決定権を握るのは……空気?テレビ局の報道現場を通して現代の日本を覆う奇妙な”空気”の正体に迫り、観客を凍り付かせた戦慄の問題作。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
福島三部作 第二部
福島第一原発が建設・稼働し、15年が経過した1985年の双葉町。公金の不正支出が問題となり、20年以上に渡って町長を務めてきた田中が電撃辞任した。かつて原発反対派のリーダーとして活動したために議席を失った<穂積 忠>(孝の弟)は、政界から引退しひっそりと暮らしていたが、ある晩、彼の下に2人の男が現れ、説得を始める。「町長選挙に出馬してくれないか、ただし『原発賛成派』として……」。そして1986年、
1950年代、敗戦前の若手エリート官僚が久しぶりに集い久闊を叙す。やがて酒が進むうちに話は二人の故人に収斂する。一人は首相近衛文麿。近衛を知る参加者が近衛を演じ、近衛の最大の失策、日中戦争長期化の経緯が語られる。もう一人は外相松岡洋右。また別の一人が松岡を演じ、アメリカの警戒レベルを引き上げた三国同盟締結の経緯が語られる。更に語られる「帰還不能点」南部仏印進駐。大日本帝国を破滅させた文官たちの物語
人気漫画家今日マチ子が、沖縄戦におけるひめゆり学徒隊に想を得て描いた傑作『cocoon』。マームとジプシーによって2013年に上演された舞台版は、演劇界を震撼させた。戦後70年にあたる2015年に再演された作品。
男は理想郷を探して彷徨い、人々は野生を求めて山を経巡る。京都を拠点に創作を行う劇団・烏丸ストロークロック。2011年の東日本大震災を契機に、日本人の自然観に大きな影響を与えたと考えられる山岳信仰を題材に選び、仙台での滞在制作といくつかの短編劇創作を経て、2018年に誕生した『まほろばの景』。ロームシアター京都と東京芸術劇場にて上演し、話題となった初演後、さらに東北地方の神楽や修験道に関する現地取材
(チラシより)どこからともなく届く光は、自然から成されたものではないことは解っていた。いつかの誰かが、誰かへ向けて発した光だった。ある人は、その光を見て見ぬふりをした。ある人は、その光自体を無いことにしようとした。しかしわたしには届いていた。届いたからにはわたしからも光を送りたくなった。届く光に微かな瞬きを感じた。光が在るということは、その傍には誰かがいるはず。光の合図は確実にここまで届いている。
太平洋戦争最大にして最悪の地上戦「沖縄戦」激戦地首里から数キロ北にそのガマはあった。
日本の西の果て、田園地帯。農家の娘・百子は、「農業」という駅のベンチに座っている。農村の生活しか知らずに終わってしまうの…? そんな思いからふと電車に乗る百子。上京する電車賃を出してやった「毒草研究家」ヤマモトは、その後の百子を見つめ続ける。原宿にたむろする少女からボランティア少女へ、そしてなぜか農業高校で米を作る「農業少女」へ…。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
小さな町工場を経営するアキトシは、妻のサチコとともに自らの工場で働いていた。近くのプレハブ小屋に住む弟のミチオは、壊れた機械を見ると直さずにはいられない電気修理工。なぜかアキトシに監禁されており、小屋と右足とを鎖でつながれていた。一方サチコには、かつてミチオに強姦された過去があり、未だ不倫関係にあった。そんな中、工場の新しいアルバイトとしてケイコがやって来る。ケイコは、壊れた携帯電話を直してもらっ
夜、劇場にしのびこんだ不良カップルが眠りにつくと…亡霊たちの時間が始まる。劇場に満ちる愛の亡霊たちの秘めやかな足跡―初演時、身体的負荷の高いパフォーマンスと、密度の高い演出で評判を呼んだFUKAIPRODUCE羽衣の代表作の再演。いじましい現代人の愛の示し方を高らかに歌いあげる“妙―ジカル”。
美術家小沢剛の演出は、3.11後の世界に向き合うイェリネクのテキストの複雑さと生々しさにストレートに呼応する、雑多で具体的な体験に満ちたものだった。美術展を模した会場に並ぶのは、イェリネクのテキストがそのまま刻み込まれた絵画や写真、オブジェ。やがて、静かな鑑賞の時間を引き裂くようにバタバタと類人猿が現れる。牛の遺体を引きずり、床に叩き付けて見せる彼は、悲嘆に暮れているのだろうか。やがて、制御の利か
「ドミノ幻想」とは、世界はある特定の人間を中心にして回っているとする考え。その人間の願ったことは必ず叶う。願った瞬間にドミノが倒れ、結果に向かって進んでいく。周囲はそれに合わせて調整される。また、ドミノは思いの強さに比例し、スピードを上げる。最も速いものは「ドミノ一個」と呼ばれ、願った瞬間に結果が現れる。それは俗に「奇跡」と呼ばれる。ドミノの力は期間限定である。ランダムに移っていき、誰に備わってい
これは、父、母、娘の三人家族の物語。その夜、三人はそれぞれ絶対に外出しなくてはならない理由があった。しかし、飼い犬が出産間近とあって、誰かが家に残り、面倒を見なくてはならない。嘘、裏切り、あの手この手を使って、それぞれが他の二人をあざむき、なんとか家を抜け出そうとする。やがてそれぞれの「信じるもの」が明らかにされ、互いの中傷、非難、不寛容が、事態を思わぬ方向へと導いていく。果たして彼ら三人に、救い
ある日、綿子と不倫相手の木村が会っていた帰り道で、木村は車に轢かれてしまう。遠くから事故を見ていた綿子は助けずにその場を去り、大学講師の夫と、夫の連れ子である中学生の息子の居る家へと帰ってゆく。やがて綿子は訃報を聞くが家族の前では悲しむことができず、自身の行動を後悔し始める。そんな時、綿子は夫から家族関係の再構築を提案され、木村の死を抱えたまま流されるように再構築を始める。
(パンフレットより)生まれてきた奇跡のさきへつづく旅路。それは森であり、夜である。ただ歩いていくのは困難で、立ちはだかるものをまえに立ちつくす。見たくないもの、聞きたくないものに触れてしまう瞬間が、やがて誰しもに訪れる。ときに、どうしてこんな世界に生まれてきてしまったのだろう、とおもうかもしれない。けれども、生まれてこなければ出会えなかった。たまには立ちどまって、来た道をふりかえってくれていい。思
盛りを過ぎたストリッパー明美と、「ヒモ道」に徹するシゲ。そしてその二人をめぐる人々……行き場のない毎日を、それでも健気に生きる人々を描いたつかこうへいの代表作『ストリッパー物語』。この傑作戯曲に、若者の生態や性をリアリズムに徹した演出手法で赤裸々に表現し、国内外で高い評価を得ている演劇ユニット「ポツドール」の 三浦大輔が挑戦する。
コロナ禍で生まれた山本卓卓と川口智子の初タッグが送るSFヒューマン愛<ラブ>ドラマ!?鈴木光介の作曲と、出演者全員のバンド演奏でおくる、エンターテイメント劇場!ひとつの家に住んでいても言えないこと。隣の家に住んでいても聞こえないこと。本当かわからない過去のことや、知らないふりをする未来のこと。2組の夫婦の心の声に耳をすませて描く、現在の物語。
ジャーナリストの寺泊は、菜食の人気料理家、橋本和夫に取材を申し込む。戦前に食餌療法を提唱していた長谷川卯太郎という医師を調べていた寺泊は、長谷川と橋本の容姿がよく似ていたことに興味を持ち、ある仮説を立てて取材に望んだ。プロフィールに謎の多い橋本は長谷川卯太郎の孫で、菜食のルーツはそこにあると考えていた。橋本はそれを聞いて否定した。実は橋本は偽名で、自分は長谷川卯太郎本人だと言う。本当なら122歳に
芸劇eyes
そこは隅田川の辺り。松尾芭蕉が、弟子を伴ってまさに旅に出立しようとしている。のちに『おくのほそ道』と題されるその旅は、舟の出航の遅れによって未だ始まっていない。舟を待つ芭蕉たちが出会うのは、ロボットの少年や正体不明の女。彼女らと過ごすうちにやがて立ち現れるのは、ある哀しい真実で—。『隅田川』『井筒』という、『伊勢物語』を媒介として接続される二つの謡曲をポリリズム的に併置した現代の会話劇。
「ヘッダ・ガーブレル」を、三東瑠璃の演出・振り付けで立ち上げたコンテンポラリー・ダンス作品。三東自身がヘッダとして出演し、Co. Ruri Mitoのダンサー青柳万智子、安心院かな、金愛珠、斉藤稚紗冬がコロスで出演。さらに映像出演として森山未來、杉山剛志、中村あさき、宮河愛一郎が登場。
(パンフレットより)こんなにも嘘めいてしまった世界のなかで書を捨てよ町へ出ようという響きについて表現という、それ自体が許されない時代が現在。訪れるかもしれない気配がするのだもしかしたら、なんにもないかもしれない外側へ。内側のいろいろを置き去りにして町に点在する作品という名の場所と時間にどうしてそこにひとは辿りつくのだろうかそしてなぜそこに立ち止まろうとするのか所詮、そこはだれかがつくった場所と時間
「地球には重力があるらしいんよ」フクダカズコ...1982年、愛媛県松山市で元同僚ホステスを殺害。犯行後、5459日間に及ぶ整形逃亡劇を繰り広げ、1997年、公訴時効成立21日前に逮捕された女。決して実録ではない。地球という檻に幽閉された女の実存が、重力の中を彷徨い、戯れ、抗い、逃亡を図る。東京・下北沢の小劇場B1にて2021年初演の『ビコーズカズコーズ』を大幅に再構築し、生まれ変わった<完全版>
福島三部作 第一部
1961年。東京の大学に通う青年・<穂積 孝>は故郷である福島県双葉町へ帰ろうとしていた。「もう町へは帰らない」と告げるために。北へ向かう汽車の中で孝は謎の「先生」と出会う。「日本はこれからどんどん良くなる」、そう語る先生の言葉に孝は共感するが、家族は誰も孝の考えを理解してくれない。そんな中、彼ら一家の知らぬ背景で、町には大きなうねりが押し寄せていた……。福島県双葉町の住民たちが原発誘致を決定する
あるニュース番組の内容が次々に改変させられる異様な状況を描いた『ザ・空気』( 2017 )、 国会記者会館の屋上を舞台に、日本独自の“記者クラブ制度”に着目し、メディアと政権の癒着に迫った『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』( 2018 ) に続く、“空気”シリーズの第三弾。再びテレビ局を舞台にした本作は、混迷を深める社会状況や現実の政治とシンクロさせ、今の日本の“空気”をリアルに体感させ
歴史でも物語でもない。福島のいまを受肉し、「出来事」にする フェスティバル/トーキョーでの上演も3年目を迎えるマレビトの会の長期プロジェクト『福島を上演する』(2016-)。複数の劇作家が福島に赴き、それぞれの視点から現地のいまを切り取った短編戯曲を執筆。ごくシンプルな空間で、俳優の身体を通し、「出来事」として出現させる試みは、現実と演劇との関係はもちろん、戯曲と上演、写実と創作の関係、とりわけ俳
登場人物達のそれぞれの善意が、互いをすり減らし、こそぎながら、〝信じるに値するもの〟を求めて、右往左往する様を〝笑い〟を交えて描く群像劇。
福島三部作 第三部
2011年3月11日、東北全体を襲った震災は巨大津波を引き起こし、福島原発をメルトダウンに追い込んだ。その年末、<孝>と<忠>の弟にあたる<穂積 真>は、地元テレビ局の報道局長として特番製作を指揮していたが、各市町村ごとに全く異なる震災の悲鳴が舞い込み続け、現場には混乱が生じていた。真実を伝えることがマスコミの使命か? ならば今、伝えるべき真実とは一体何か? 被災者の数だけ存在する「真実」を前に、
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
コロナ禍の2021年3月に創作した本作は、演出/台詞を全てそっくり同じまま配役の性別を入れ替えたダブルキャスト、2つのバージョンで上演。また、振付に数々の受賞歴のある振付家/ダンサーの黒田育世氏を迎えた。ある冬の朝、主人公がやってしまった「おねしょ」から始まる。いささかの後悔と共に布団を干し、食事をしてから煙草を吸い、風呂に入る。そういったささやかな一日のスケッチが、主人公の一人言と共に描かれる。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
日本による韓国併合の時代に朝鮮北部に産まれた李仲燮は、朝鮮の大地を愛し幼い頃より絵に描いていた。一九三五年、支配国である日本に渡り 、東京帝国美術学校、文化学院美術科で絵を学ぶ。在学中に山本方子と出会い魅かれ合うが、戦局も逼迫して一人、実家のある元山(ウォンサン)へと戻った。思いを断ち切れない方子は終戦間近の一九四五年、危険な玄界灘を一人渡り仲燮と再会する。二人は結婚、山本方子は李南徳(イ・ナムド
誰かの何気ない一言で湧き上がってきた感情。突然、心の中に火花のように現れては消えていく衝動。見知らぬ人の芳香や懐かしい音楽が、否応なしに引きずり出す思い出。それらはふとしたきっかけで襲ってくる。意思とは無関係に。無視することはできても、無かったことにはできない。私達の日常は平穏に見えて、心の中は様々なものに襲われている。感情、衝動、思い出。襲ってくるもの。イキウメの短編シリーズ、第四巻は、意識の中
音楽の手法でのマッシュアップは、異なる音源からトラックの一部をそれぞれ取り出してミックスし、一つの曲にするものである。本作は、短篇シリーズ『図書館的人生』で今まで上演されてきた『青の記憶』、『輪廻TM』、『ゴッド・セーブ・ザ・クイーン』、『賽の河原で踊りまくる「亡霊」』、『東の海の笑わない「帝王」』、『いずれ誰もがコソ泥だ、後は野となれ山となれ』の六篇を使ったマッシュアップ。過去現在未来に存在する
サミュエル・ベケットの20世紀を代表する戯曲「ゴドーを待ちながら」を下敷きに、待たれている男の一人芝居を描いた、いとうせいこうの92年の傑作「ゴドーは待たれながら」。KERAが10年以上にわたり大倉を口説き、この伝説の舞台が蘇りました。 本作品にゴドー以外の人物として唯一登場する「声」役は、芸劇の芸術監督でもある野田秀樹。いとう×KERA×大倉×野田の最強の布陣でお届けするナイロン100℃結成20
関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。長女は、知的障がい者である。親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。そこに、長女と結婚したいという男が現れる。
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
AV女優達の控室を舞台に、年齢を重ね様々な悩みを抱えながらも逞しく生きていく女たちの姿を描く。ブス会の代表作、初の再演。
東京芸術劇場が2015年に初めて制作した、こどものためのオリジナル作品。原作は松尾スズキの文/絵による 『気づかいルーシー』(千倉書房)、脚本・演出はノゾエ征爾。主人公のルーシーと、育ての親のおじいさん、飼い馬が互いに気づかいしすぎるあまりに引き起こす残念な悲喜劇が、オリジナルスコアの生演奏に乗せて、歌あり踊りありで展開する、ほろ苦くも楽しい舞台。2017年の再演に続き、2022年に再再演をおこな
楽しく不思議な世界を作り続けてきた劇団・ワワフラミンゴがシアター・イーストに登場。静かに喋る役者たちが静かに小活躍。かわいく、楽しいシーンがどこまでも続く。たった一人のダンスは必見。幻から「今」に迫る。とぼけと夢が混じる12月の物語。
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
近未来。東洋のガラパゴスと呼ばれている千久世島という離島は、かつてない賑わいを見せていた。国産みの神話に登場する島であると同時に、その島で発掘される「レアゲノム」という化石由来のDNAがヒトや動物の遺伝子組換えに必要なものとして注目を集めているからだ。その島に住む男は、奇祭で弟を失う。ところがある日、弟は蘇り、まるで別人のように男の前に現れる。弟の存在は島の住民を狂わせていく。そしてそれは、島の存
(チラシより)26歳のときに書いた作品を、リユースして再構築してみようとおもうのだが、これに至るまではいろいろあった。マームとジプシーのこの三年間は、自分たちの過去に発表した作品をある意味、否定していく作業でもあった。とめどなく湧きでてくる、興味と。どうしようもなく拡大されていく、規模。どんどんと速くなっていく、スピード。取り巻くぜんぶのことにアプローチしていくときに振り返ってはいけなかった。振り
音 も 立 て ず に 世 界 は 終 わ ろ う と し て い る一瞬だけ空が緑色に輝いてからというもの地球には異変が起こりはじめた。すべての犬が散歩に行かなくなり、猫は左にしか曲がらなくなった。すべての花は自ら捩じれて茎にこぶ結びをつくるようになり、カエルはそれまでの倍以上跳ね上がるようになった。電柱の足場のボルトはどうしてだろう確実に以前より延び、すべての道路標示はさらさらと粉になって方方
2019年の三鷹で描かれた、公務を担う母と定年を迎えた父の別れ。女と男、妻と夫の、過去から今から次へのお話。実話を基に子が脚本を書いて演出し、実父も出演する、母と家族の歴史。
時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
東京で会社員をしていたマリカは、友人に韓国恋愛ドラマを勧められ激しくハマる。そして一念発起し単身渡韓、シナリオライターを目指す。スクールに通いながら書いた一作目が思いの外韓国でヒットした。一躍売れっ子脚本家になったマリカだったが何処か釈然としない気持ちを抱えていた。それは、書けてしまった作品がラブストーリーとはかけ離れたバイオレンスものだったからだ。自分の才能と憧れとのギャップに苦しむマリカだった