茨城県日立で炭鉱と坑夫の歴史をリサーチしたオル太が、神話の世界から近代化の時代を抜け、福島の原発事故を経て、延期されたオリンピックと常態化した緊急事態に振り回された日本の現在において信仰されている「神」とは、そのために捧げられている「労働」とは何かを問う。
私たちの生きる都市はどのような「鉱山」で、日々そこで私たちはいかに身体と言葉を使い、使わされ、どこに運ばれ、何を掘り出し、また埋めるようにして生きているのか。劇場の中の観客はインスタレーションの内部に作られた観客席で、劇場の外の観客は映像で内側を覗き込むように、自然/都市/労働にあらたな視界を切りひらく一つの旅を体験するでしょう。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
2009年に結成されたアーティスト集団。特定の共同体において見られる集団的な行為とそこで繰り広げられるコミュニケーションに着目し、それらを再編・再演する。社会の基盤を揺さぶり、それを支えている思考や慣習、言語、生活様式を浮かび上がらせる。
YPAM ディレクション
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
YPAM ディレクション
ヴィジュアルアーツ/パフォーミングアーツの制度との折衝、社会学的/民俗学的フィールドワークを重ね、挑発性とユーモアを併せ持つ活動を展開するアーティスト集団「オル太」が、「ニッポンのイデオロギー」がとる日常的形態のパフォーマティブな分析に6つの切り口で取り組みます。「取り止めのない一つの感情のようなものが、現在の日本の生活を支配しているように見える[…]日本に限らず現在の社会に於けるこの切実で愚劣な
滑稽かつ批判的な眼差しから日常を切り取り、都市における無意識の振る舞いを人・物になって自在に演じてきたオル太が、2020年東京オリンピックを目前に、京都で初となるスタンドプレーを上演します。新国立競技場の構造モデルから設計したスタジアムを劇場に再現し、「自らが演じること」と「演じることを観ること」が演者と観客、都市と劇場のなかで入れ子構造で立ち上がり、人間の共存に結びついてきた行為を問いかけます。