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「Caddy! Caddy! Caddy!」は、フォークナーの小説『響と怒り』、『アブサロム、アブサロム!』、短編小説『エミリーへのバラ』の抽象的な描写を題材にしたライブサウンドスコアとダイナミックなインスタレーションを伴う作品です。ダンスは、閉塞感、束縛、悲しみ、孤独、勇気を表現します。最終的には、ステージが無数の光の色の糸が空間に広がる息をのむようなフィナーレへと展開します。シンプルな照明の変
ゲーテ・インスティトゥート東京開設60周年プログラムの一環として開催された。土方巽の伝説的作品「バラ色ダンス」(1965)をキャンプの視点から読み替え、21世紀のバラ色ダンスプロジェクトとして、あふれ出るイメージの狂宴を三日間にわたり繰り広げた。ゲストパフォーマーに、日替わりで木部与巴仁、川村浪子、砂山典子をそれぞれ招いている。また公演同日に関連鈴木章浩キュレーションによる映像上映プログラムを行い
宮澤賢治作「注文の多い料理店 序」「注文の多い料理店」「土神と狐」の3作品を、手話、音楽、語り、の協奏によって、新たな表現の可能性を切り開く演劇作品。本作品では「手話パフォーマー/ろう者・コーダ」「バイオリニスト/視覚障害者」「語り手/ポランの会俳優」といった感覚や文化の異なるアーティストたちが異なる切り口で賢治の世界を表現し、それらが折り重なることで新たな演劇空間を生み出す。
本シリーズであえて“実験”の二文字を掲げるのは、この実験が作者である私自身にとっての実験であるからに他ならない。音楽や物語など、私にとっては外部の既存のものから得る刺激によって創作するのではなく、まずは空間及び動きの法則を仮定し、そこから何が生みだされるのかを創作過程において研究/記録すること。その科学的アプローチこそが本創作(実験)の趣旨である。(金森穣)
舞踊とは非言語表現である。だからこそ好きに発言(表現)できると思ったら大間違いである。社会的意味を持たない言語だからこそ、より観客の想像力に訴えかける言語(踊り)でなければならない。饒舌である必要はない。沈黙を恐れてはならない。人間(観客)には、聞こえない言葉を聞き取る能力があるのだから。(金森穣)
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
-「草野球チームが集まって作った名球会に、かつて八百長で地元を追われた男が帰ってくる。しかも不思議な〝なにか〟を引き連れて…。」役者5人だけで、こうのとりスタジアムの駐車場、放送室、グランドと場所を変えながら物語は展開します。野球へのLOVEが、すべてのLOVEへとつながっていく60分の喜劇です。
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく
本作品では、グーチャ・マライーニ「ひつじのドリー」をモチーフにして、身体至上主義、コンテンポラリーダンスならではの、ダンスカンパニー「ブッシュマン」ならではの、「血と汗と土の匂いがする」作品創りに取り組みました。「ひつじのドリー」において、創作のヒントにするのは「クローン」や「アイデンティティーとは何か」という点、生命の定義とは何かを考えました。
Dance New Air 2014
幸せとは。無意識でも意識的でも、選んだ結果で今がある。 「赤い靴」を選ぶ人生、選ばない人生。「赤い靴」を履かずにいられない欲望の源は、何にあるのか、「赤い靴」に焦点を合わせない女は、何に怯えているのか。思いも掛けないきっかけで、もともと眠っていた種は目を覚ます。 女は無意識に危ないことを知っている。 それを幸せと呼ぶのか、呼ばないのか。
風の庭プロジェクト2009
松尾芭蕉(1644~1694)の「奥の細道」の俳句を題材にした春夏秋冬の風楽作品。暗い細道を通り抜けた鮮やかな夏の彩。月日は百代の過客にして 行きかふ年も又旅人也 田一枚植ゑて立去る柳かな卯の花をかざしに関の晴着かな(曽良) 夏草や兵どもが夢の跡 五月雨の降りのこしてや光堂蚤虱馬の尿する枕もと蚕飼する人は古代のすがた哉(曽良) 五月雨をあつめて早し最上川第4回サンパウロ市立ダンス振興プログラム
北村明子が4年に渡って取り組んできた長期国際共同制作の舞台プロジェクト『Echoes of Calling 』。2022年11月には、ウズベキスタン・アイルランドへの海外ツアーを経て2023年3月に最終公演『Echoes of Calling– rainbow after–』に至る。この公演にあわせ、ウズベキスタンの伝統芸能、吟遊詩人「バフシ」であるアフロル・バフシやアイルランドの伝統歌として知ら
宮沢賢治は、よくわからない不確かな存在を「ガドルフの百合」と名付けました。ここにいるのかいないのか、そこにあるのかないのか、お互いの距離を感じなければいけない状況が、むしろ私たちの身体感覚を鋭くしている気がします。この作品は上郷クローブ座のある元上郷中学校全体を舞台にした回遊型パフォーマンスです。ダンスや演劇、美術、映像、音楽などが紡ぎ出す時間と場所へ、一緒に距離のない旅に出ます。
(フライヤーより抜粋)三味線、和太鼓、日本舞踊など、日本の芸能を伝承しているこどもたちの活動を紹介する「こどもの城 おまつり劇場」。今回のテーマは「花」。四季おりおりの花にちなむ歌や踊りを春夏秋冬の四つの章に構成します。
(フライヤーより)円形劇場にあつまったみんなが、花のお江戸へタイムトリップ!熊さん・八っつぁんの案内で、こどもたちの歌や踊りをみたり、富くじですてきな景品をもらったり、はらはら曲芸にチャレンジしたり……、お祭り気分で江戸体験をお楽しみ下さい。
「ひとりの娼婦が寝ている。目を凝らすと、それは、彼女の立ち姿であることに気づく。」という冒頭の一節を起点として、12人の登場人物が一夜の出来事を紡ぐ物語を、二人のダンサーの身振りと唄、笛、太鼓、三味線の生演奏により描き出す。暗喩的な台詞から浮かび上がるイメージを掬い上げながら、演劇・ダンスの境界線への接近を試みた本作品は、東京芸術祭2021 主催プログラムとして、2021年10月22日 ~10月2
EX TELEVISION
白虎社のビデオ作品「光の王国」(オーストラリアにて撮影、東京国際ビデオビエンナーレグランプリ受賞)から始まり、番組レギュラーの上岡龍太郎が大須賀にインタビューする形で番組が進む。「出前芸術体」のビデオ、「熊野夏季舞踏+芸能文化セミナー体験合宿」についての取材映像、ニコンCM(ヨーロッパ・バージョン)なども挟みながら、大須賀の人物像や芸術観、白虎社の活動を広く紹介する。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
風の庭プロジェクト2007
ユニット風舞妙韻による俳句から生まれる風楽作品。第1回風の庭プロジェクトで構想・総合指導:田中トシ。アルテゾンス・ド・コーポ、ニレ・アートとのコラボレーションにより風の家(サンパウロ)の砂舞台で催された。それは家族、庭、コミュニテイーそして身体と自然を廻ぐるパフォーマンスアート。2007年サンパウロ州文化局文化活動プログラム(Pac)の助成で実現。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ボレロ」など、数々の名曲に挑み独特の音楽世界をダンス作品として発表してきた平山素子が、劇作家シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、初めて本格的な演劇的ダンス作品として2015年に発表した『POISON~シェイクスピアを喰らう~』から4年。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香、Noism退団後初舞台となる中川賢
実在の人物である、文学者・医者のユダヤ系ポーランド人、ヤヌシュ・コルチャックの後半生を描く。第一次世界大戦後、ユダヤ系とポーランド系の孤児院を運営するコルチャック。その孤児院は、厳しい管理や強制ではなく、子ども達の自治を実践していた。子どもを一人の人間として尊重し、彼らの自治による世界を実現するという、革新的な彼の主張は、1989年に国連で制定された「子どもの権利条約」に生かされている。ナチスのユ
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
JADEフェスティバルの委嘱を受け、舞踏の創始者、土方巽の遺文集「美貌の青空」をタイトルに、土方へのオマージュを込めて創作されたKo&Edge.coの旗揚げ作品。
舞踏50年の記念に土方巽に捧げる公演として『幻想の地誌学』に続き、谷川渥『肉体の迷宮』を舞台化した作品である。「自分と異形の肉体との微妙な距離」を和栗自身の舞踏の支えに、自分という迷宮に取り組む。コンテンポラリーダンサーの関と共に、6人の女性舞踏手と土方舞踏譜を元に作品を制作している。その後も海外でのツアーや新作公演など、和栗の精力的な活動は続くが、日本国内において自身のカンパニー好善社としての公
白虎社結成十周年+南方熊楠没後五十周年記念企画〈伝染するメディア〉シリーズ三部作Ⅰ天の巻
博物学者・南方熊楠のマルチメディア的好奇心に支えられた天地創造神話。1984年初演。1988年の第一回東京国際演劇祭では、50度にはなろうかという大テントの中で、「目的完成を欠いたこれほどの愚行は世界広しといえども、白虎社以外にはないだろう」(「別冊太陽 60’s~90’s」1991年平凡社)という舞台だった。本映像は、白虎社結成10年を記念して、その野外編として神奈川県藤沢市、熊楠も住んでいた和
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
賃貸契約の一方的な破棄により、住む家をいきなり追い出されそうになる家族の物語。しかし人智の及ばない強大な力が見え隠れし始め、その問題自体が舞台上から消え去り———人間の世界を圧倒する存在が上演を支配し、まったく新しい世界が舞台上に立ち現れる。俳優たちはナラティブとは別の基準によって作られた振付を遂行し、次第に変態していく。音楽家もまた、楽譜に書き込まれた多彩な技法を用いて音楽を変容させる。6名の俳
ミラーボールが回る呪術の場、古今東西のエイリアンによって謡われるダンス現代に潜む様々な文化や進化の記憶の断片を寄せ集めた、キメラ状身体。それは、古くて新しい奇妙なエイリアンたち。現在であり過去であり未来である時間=無時間。世界はミラーボールが回るダンスフロア。人間も動物も、生命はみな踊る。ここにミラーボール主義を宣言する。
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アウシュビッツ博物館(ポーランド)から東京のホロコースト教育資料センターに貸し出された茶色い古びたかばん。かばんには、ハンナ・ブレイディ 1931年5月16日生まれ ドイツ語で“孤児”と大きく書いてありました。ハンナは、どんな女の子だったの?劇団銅鑼アトリエ、東京芸術劇場ほか様々な場所で・・・あなたとハンナを探す旅が始まります。
1983年の初演以来、1985年の東京公演では「<喧噪>や<愚行>を現代の視点でとらえ直す等の舞台芸術活性化への貢献」によって第17回舞踊批評家協会賞を受賞し、欧州ツアーでも熱狂的に迎えられた白虎社の代表作「ひばりと寝ジャカ」のオーストラリア初演。
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
古川あんずは1991年にベルリンに移住し、1996年までブラウンシュヴァイク教育美術大学のパフォーミングアーツ学部で教鞭をとっていた。本作は、カフカの『変身』をベースに古川が学生達と創作した作品のダイジェスト版。タイトルの「Verwandlungsamt」は、『変身』の原題でもある「Die Verwandlung」と、事務局や管理局、役所などを表わす「Amt」から成る造語。
人間のいとおしさを謳いあげる大豆鼓ファームの、初の東北遠征公演。青葉城下に位置する大橋の下、広瀬川の流れの上に舞台・客席を設営、舞台バックの川面には高さ8メートルのステンドグラスを立ちあげた。川と共に生きる川原者たち―女はヨタカ、男は泥棒-が盗って笑って捕られて泣いて、泥無垢姿の人間模様を描き出す。公演は度重なる雨天にみまわれ、舞台の上にも川が流れる。路上時代から使われていたピアノはついにお釈迦と
Noism0+Noism1 ディアギレフ生誕150周年
「東西文化の融合」を20年来のテーマとしている金森穣が、オペラ『蝶々夫人』に影響を与えたともいえるピエール・ロティの小説『お菊さん』をもとに新たに台本を書き起こした上で振付。ストラヴィンスキーの「結婚」で踊る舞踊家たちは全員人形として描かれ、ロティが描写(蔑視)する日本人を隠喩している。Noism×鼓童「鬼」と同時上演され、本作品も「鬼」をテーマとしている。
ハードコアコンテンポラリーダンスカンパニー大橋可也&ダンサーズと気鋭のオルタナティブロックバンド空間現代による第三弾コラボレーション作品。記録、記憶と再生をテーマに、暮れていく光の中でダンサーたちが記憶を求めさまよう上演となった。タイトルはヒッチコック監督の映画"Suspicion"から。
茨城県日立で炭鉱と坑夫の歴史をリサーチしたオル太が、神話の世界から近代化の時代を抜け、福島の原発事故を経て、延期されたオリンピックと常態化した緊急事態に振り回された日本の現在において信仰されている「神」とは、そのために捧げられている「労働」とは何かを問う。私たちの生きる都市はどのような「鉱山」で、日々そこで私たちはいかに身体と言葉を使い、使わされ、どこに運ばれ、何を掘り出し、また埋めるようにして生
東日本大震災の年に行った公演「帰ㇽ」を作った動機は、震災原発の問題の後、世界不況も絡み合った閉塞感で人々が生きるという方向性を見失ってしまい崩壊へと向きかねないという危機感からです。舞踏家の使命として、舞台において、現在の世界に体を開き、誠実な一歩を歩む事により、お客様へ生きる事への共振をお伝えしたいと願ったのです。この世の命は全て祝福されている。帰ㇽ、命の肯定へ。死や崩壊すら再生への始まりです。
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
Lightシリーズ
― 最近私は、新幹線に乗る機会がたびたびある中、車窓の向こうに広がる家、家、家に地を這う蔦のイメージを想いうかべた。生き物のような家、家、家…。そんな発想から今回の「家」の創作が始まった。どこへ辿り着いたのか自分でもわからない作品ではあるが、この家の中に入って行こうと思っている。― ケイ タケイ1969年から続く「Light」シリーズのPart53初演。まだ2類相当だった新型コロナウイルスの影響で
世界ダンス体系Ⅱ
「1933年には、キング・コングは男性原理を象徴するものだった。半世紀後の今日では、それは、富の力の前に敗れ去ろうとする、全世界の「土」と「水」と「誇り」の象徴となった。今こそ、愛の不可能性に傷ついたキング・コングに、優しいエールを贈る時だ。まだ、まにあうだろうか。」ー古川あんず(プログラム解題より)プログラム:Act1.歯磨き夫人と宿六 / Act2.何処へ / Act3.濡衣 / Act4.神
Saint Live Sparking 白虎社'82連続犠肢体行脚
1982年、Saint Live Sparkingと題し、白虎社が関西一円で行ったライブハウスツアーの編集映像。公演タイトルは『「サイレント独楽」-月より速く-』『「草の上の昼寝」-水から油へ-』『「ゾンネンシュターンの夏」-からっぽの世界-』。
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
文明のパレードであり、物質のパレードである。野外劇場で初演され、日本の「舞台芸術の新しい領域を開いた」と評される作品。台詞を全く用いず、従来の演劇、舞踊といった枠組みを越えて新たな劇表現を獲得したこの作品は、パパ・タラフマラの大きな転換点となった。人の生み出した物が、むしろ人を動かして先へ先へと進んでいく。そのような文明のエネルギーを視覚化し、生命と物のパレードとして描く。ロケットを想起さ せる7
(フライヤーより)ご存じのように、こどもの城はこの11月1日で開館2周年を迎えました。この2年間のあいだ、こどもの城では様々な催しを開催し、来館されたご家族の皆様に楽しんで頂けるようにと努めてまいりました。青山円形劇場では国際交流企画としてご家族の皆様で楽しく踊ったり、ゲームをする中で国境を越えた交流が実現すればと願いをこめて6回のファミリーディスコを実施してまいりました。こどもの城として3年目を
ヘルシンキ市立ダンス・カンパニー委託作品。古川あんずは同カンパニーからの委託で1994年には『春の祭典』を、1995年には『KEPPI(杖)』を振付けている。本作では、アマゾン河で見た色が交わらないまま流れる水やアフリカの女性が壺に朝露を集める姿、ヘルシンキ沖の凍った海など、古川に印象を残した様々な「水」の体験が下敷きとなっている。Act1退屈した男 / 心の誕生 / 隻手音声 / 水の神話Act
悲劇的な立場に置かれた5人の女優が、自らの不条理な状況を憂い、飾り立て、時に正当化しながら、自身の不幸を声高らかに語りあげます。現実社会で起こるリアルな悲劇と、不幸な自分に酔い不幸を誇張するフェイクの悲劇、また舞台上のフィクションとしての悲劇という3つの異なる時空から「悲劇」の構造を捉えることで、自分とこの世界の関係性を見つめ直します。 今を生きる私たちにとって「悲劇」とは何か、また人々は不条理と
1982年11月に実施された白虎社のインドネシアツアー記録。ジャカルタ、バンドン、ソロ、ジョグジャカルタ、バリ島で「秘鳴の森」を上演した。ガムランやレゴンダンスなど地元のアーティストとのコラボレーションも行い、音楽は松尾泰伸が巡行先の音楽家と共同作業した。このドキュメントでは公演準備や公演映像の他、バリ舞踊を踊る少女達など現地の人々の様子も収録、加えて大須賀勇の解説も挿入されており、白虎社の求めて
Dance New Air 2016 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.1
慣れ親しんだはずの日常風景をさりげなく非日常へと反転させた『Borrowed Landscape-Yokohama(横浜借景)』 から3年-。ハイネ・アヴダルと篠崎由紀子は、今年30周年を迎えるスパイラル [建築:槇文彦] の空間を舞台に、ヨーロッパと日本のアーティストによる国際共同制作『“distant voices ‒ carry on』”~青山借景』に取り組みます。スパイラルの屋内外、一般に
super reflection
万華鏡のように映し映され合いながら動き続ける複数の身体。ある瞬間に、通じ合えたような束の間の安堵を味わったり。またある瞬間には、はたと逃れようのない個/孤を自覚させられたり。肉体の間に働く求心的な引力と摩擦、衝突、その営みが「super reflection」となる瞬間を求め続けている。
Dance New Air 2018
6月初旬、なんら先入観も持たず、会場にて行われる初回の打ち合わせに向かいました。そこには、僕たちにとっては初めて見る形状の 舞台となる、イサム・ノグチさんの石庭「天国」という名の作品が美しく広がっておりました。さらに、今回コラボレーションさせて頂く、草月流山田幸泉先生のシンプルな竹ひごという素材から織りなす、温かみと自然の美しさを追求した作品集とアイデアを拝見させて頂き、この環境でパフォーマンスを
Dance Mediumの10番目の新作。2006年初演の「見えない森」を全面改訂し、出演者も総取替えしての新たな境地を見ていただきたいと思う。今回は舞踏家3人に他ジャンルの身体表現者3人を加えての新たな試みにも注目して欲しい。幻獣達の蠢く見えない森に彷徨い込んだ青年の体験する悪夢。人間の意識と無意識、現実と妄想、死と生、真実の光とは何かを追求した作品。
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
「記憶の沼」のみなそこから湧き上がり、吐き出され、吞み込まれてゆく数々の物語。地上でもあり水中でもあるような、あいまいな境界に繰り広げられる女性舞踏の饗宴。