表示件数
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
2020年初演したCo.Ruri Mitoの代表作。コロナ禍の真っ只中で、7名のダンサーとクリエイションを行い、施設利用の条件が緩和された10月に上演した作品。個と群の関係性をテーマにし、「自分の身体とはどこからどこまでか」という問いを投げかけ、生命の根源に迫る。私たちの存在とその相互作用を探求する試み。曖昧な身体の境界線を通じて、個の消滅や集結の解釈を観る者に委ねる。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
台湾のアーティスト、リヴァー・リンによる、戦後日本に生まれた先駆的芸術運動「具体(具体美術協会)」について、特に田中敦子、白髪一雄、村上三郎、嶋本昭三らの作品を参照したオンラインパフォーマンス。また、C-Lab (Contemporary Culture Lab Taiwan)との共同制作作品として2020年に台北で上演されたパフォーマンス作品『具体美術宣言と踊る』のドキュメンテーション、TRUア
日本丸メモリアルパークパフォーマンス 2021-2022「路上の身体祭典H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー#2
社会から分断され個人になった時に個人は不安を抱え、集団に依存していた個人の脆弱さが露呈する。我々は生きる手段としてこの大きな集団に取り込まれ、それは習慣となり個人という存在や輝きは飲み込まれてしまうだろう。しかし希望を失った身体は、言うなれば囚われた習慣を捨てた身体の始まりであり、強靭な個人の身体の始まりだと僕は思う。歪な躍動のリズムで僕は目を覚ましたい。ツアー公式Webサイト:https://s
瓦礫が散乱する部屋。瓦礫に埋もれ、微動だにしない人々。時間が巻き戻るように、肉体を取り戻す。命を小石のように扱う人々。奪い合い。諦め。繰り返す歴史。時間を行き来して物語は進行する。そして、私は私の体を弔う儀式を行う。
時は昭和。1964年東京オリンピックの裏で開かれていた、もう一つの『民族の祭典』――その名も【キリンピック】。人間ではなく妖怪がアスリートとして集合する、百鬼夜行のスポーツ大会!この物語は、世界初の妖怪五輪開催に向けて宮内庁の精鋭達が熱く命を燃やす、汗と涙と肉と神秘のドキュメンタリー。
TOKYO DANCE TODAY #1
青山円形劇場の空間を生かした独創的な作品を発表するダンスシリーズ「TOKYO DANCE TODAY」の初回を飾った、近藤良平率いるダンスカンパニー「コンドルズ」の作品。未確認飛行物体接近!完全円形360度!完全限定3600秒!
(フライヤーより抜粋)この1年、ずっとサンタさんは、ひとりでも多くの子に素敵なクリスマスをプレゼントすることを願ってきました。ミセスサンタも同じです。けれど、いつもひとり残されるミセスサンタは、今年はサンタさんのそりに内緒で乗り込みました。サンタさんとクリスマスにデートしたかったからです。ところが、途中である星に落ちてしまいました。そこは、けんかのたえないキャンデイーの星でした。さあ、ミセスサンタ
ゲーテ・インスティトゥート東京開設60周年プログラムの一環として開催された。土方巽の伝説的作品「バラ色ダンス」(1965)をキャンプの視点から読み替え、21世紀のバラ色ダンスプロジェクトとして、あふれ出るイメージの狂宴を三日間にわたり繰り広げた。ゲストパフォーマーに、日替わりで木部与巴仁、川村浪子、砂山典子をそれぞれ招いている。また公演同日に関連鈴木章浩キュレーションによる映像上映プログラムを行い
朗読×ダンス公演
朗読とダンスで綴るストーリー仕立ての舞台公演。ある中学生の少女はすすぎ雨により自身が周囲から嫌われている存在である記憶を忘れることができ、しばらく幸せな日常を過ごしたが、大人になり再び人生に行き詰まる。そこへ怪しい女が現れるが、それは未来から自分を救いに来た自分自身であった。不幸をもたらすのは忘れたい記憶自体ではなく、その経験を受け容れて自身を改善しようとしてこなかった自分自身の弱さであるという教
Saint Live Sparking 白虎社'82連続犠肢体行脚
1982年、Saint Live Sparkingと題し、白虎社が関西一円で行ったライブハウスツアーの編集映像。公演タイトルは『「サイレント独楽」-月より速く-』『「草の上の昼寝」-水から油へ-』『「ゾンネンシュターンの夏」-からっぽの世界-』。
踊りの起源をテーマとしたダンス作品。人間ではどうしようもできない事象に対し、自然や神、見えないものに敬意を払いながら共に生き抜くために、祈りや呪いとして音を鳴らし踊るという根源的な行為が人間の日常生活の延長線上にある。日本の土着的な風習や儀式の身体感覚を見つめ直し、踊り鳴らすという行為の根源を想像し新たに作り上げた。見えない/聞こえないけれど、そこに確かに在るものの気配を取り戻し、人間以外の目線や
上方落語『地獄八景亡者戯(じごくはっけいもうじゃのたはむれ)』よりともかくこの亡者の連中は、世間ずれしていると申しますか、世渡り上手と申しますか、クレージーといいますか、良く言えばファンキーといえるのでしょう・・・まぁ、閻魔様も手を焼く連中でございます。噺家が、言葉を用いて観客の想像力をかき立て、楽しませる芸であるのとは真逆に、SOUKIはマイムという黙芸で挑む。
ダンス、ファッション、音楽、テクノロジーなどのコラボレーションによる新たな可能性を提示するパフォーミング・アーツ『Xhiasma-キアスマ』プロジェクト。 人が溢れる多忙な都市で、誰にも関わらず、一見自己完結が可能に思えてしまう毎日は、「生」の実感や、他者への関心も希薄になる。人と人との繋がりをコンセプトに創作・上演された『enchaîne』から2年、ダンサー・振付家の湯浅永麻、ファッションデザイ
――綺麗な毒には花がある。 『完璧な女子力』を求める女子高生は、森の奥に建つ巨大なメイド喫茶でアルバイトを始める。勤務初日の夜、メイド長が突然死。騒めくメイド達は「これは『御主人様』の仕業だ」と噂する。店には、メイドを次々殺していく、怪人『御主人様』の呪いがかかっていた。 耽美!耽美!暴力的耽美!演劇集団白昼夢が、虚構で性別を破壊する。
(フライヤーより)ご存じのように、こどもの城はこの11月1日で開館2周年を迎えました。この2年間のあいだ、こどもの城では様々な催しを開催し、来館されたご家族の皆様に楽しんで頂けるようにと努めてまいりました。青山円形劇場では国際交流企画としてご家族の皆様で楽しく踊ったり、ゲームをする中で国境を越えた交流が実現すればと願いをこめて6回のファミリーディスコを実施してまいりました。こどもの城として3年目を
「キメラ」、「漂流教室」、「光の王国」のダンスビデオ作品三部作。白虎社は1987年9月にメルボルンのフェスティバルに参加、公演終了後にアボリジニーの聖地と言われる赤い砂漠等で撮影した。1987年東京国際ビデオビエンナーレにてグランプリ・ファンドを受賞。
1982年11月に実施された白虎社のインドネシアツアー記録。ジャカルタ、バンドン、ソロ、ジョグジャカルタ、バリ島で「秘鳴の森」を上演した。ガムランやレゴンダンスなど地元のアーティストとのコラボレーションも行い、音楽は松尾泰伸が巡行先の音楽家と共同作業した。このドキュメントでは公演準備や公演映像の他、バリ舞踊を踊る少女達など現地の人々の様子も収録、加えて大須賀勇の解説も挿入されており、白虎社の求めて
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的
黒田育世の構成・演出・振付のBATIKによるコンテンポラリー・ダンス作品。少色とりどりの衣裳をまとった少女たちは広大な野原に集い、泣き、叫び、笑い、疲れ果てるまで踊り明かす。
"稽古場で、舞踊家たちがバーに捕まって稽古をしている。するとある刹那、一人の女性舞踊家が自らの指先に過ぎた日々の断片を見る。それは20年という歳月に彼女が乗り越えてきた苦悩であり、分かち合ってきた喜びであり、受け入れ、その身に刻んできた舞踊への愛である"(『Amomentof』)、”黄昏時に、白い舞台の上で、白装束の集団(ある民族)によって儀式が営まれている。それは人間とは何かを忘却せぬために、巡
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やラヴェルの「ボレロ」など、数々の名曲に挑み独特の音楽世界をダンス作品として発表してきた平山素子が、劇作家シェイクスピアが残した言葉や劇世界をモチーフに、初めて本格的な演劇的ダンス作品として2015年に発表した『POISON~シェイクスピアを喰らう~』から4年。俳優の河内大和ら初演メンバーに加え、ダンス集団TABATHAの四戸由香、Noism退団後初舞台となる中川賢
アジア・トライ
福岡を拠点にする劇衆上海素麵工場の作品の中で、上杉満代が振付と自らのソロを踊っている。本公演は大野一雄フェスティバルの一環として、アジア的祝祭をテーマに開催する「アジア・トライ」のプログラムとして上演された。上杉は敢えて車椅子で登場するなど、師大野一雄の姿も彷彿とする。
全世界の登録数は700万人超の紹介制ネットカジノ「K2」を匿名で運営する美菜。「K2」内で最も人気を誇るオンライン型育成カジノゲーム『earth』は、ユーザー間で「アス」「けつあな」と呼ばれ親しまれ、『流せ、すべてのセンス。』というキャッチコピーには宗教家である美菜の思想が反映されており、ゲーム内にユーザー独自の地球を作り、歴史も価値観も生き方もすべて自由に変えられる星育成システムで話題を呼んだ。
EX TELEVISION
白虎社のビデオ作品「光の王国」(オーストラリアにて撮影、東京国際ビデオビエンナーレグランプリ受賞)から始まり、番組レギュラーの上岡龍太郎が大須賀にインタビューする形で番組が進む。「出前芸術体」のビデオ、「熊野夏季舞踏+芸能文化セミナー体験合宿」についての取材映像、ニコンCM(ヨーロッパ・バージョン)なども挟みながら、大須賀の人物像や芸術観、白虎社の活動を広く紹介する。
ドラマとカオスを縦横するスペースノットブランク。CHAOTICなコレクティブによるDRAMATICなアドベンチャー。ダウンロードとアップロード。HIGH & LOW。物語とキャラクターと本人と別人が脱ぎ着する、母音だけでコミュニケーションできる「場所」。実存しない物語とキャラクターを、実存する本人が「上演」というシチュエーションを用いて実存する別人の目覚ましを鳴らそうとするための舞台。
(フライヤーより)十三-十五世紀の黄金のジャワ、モジョパイト時代の栄光が、華麗な舞と瞑想的なガムラン音楽の中に甦える。ジャワ芸術の粋、総勢四十名で本邦初演。[あらすじ]隠遁したモジョパイトの宰相ウドロの息子、ダマル・ウラン〈”輝く月”〉は、女王から、モジョパイトに叛旗を翻すメナ・ジンゴの討伐を命じられる。ダマル・ウランは、絶世の美男子ぶりと美しい言葉でメナ・ジンゴの2人の妻を魅了し、彼女らを通して
白虎社結成十周年+南方熊楠没後五十周年記念企画〈伝染するメディア〉シリーズ三部作Ⅰ天の巻
博物学者・南方熊楠のマルチメディア的好奇心に支えられた天地創造神話。1984年初演。1988年の第一回東京国際演劇祭では、50度にはなろうかという大テントの中で、「目的完成を欠いたこれほどの愚行は世界広しといえども、白虎社以外にはないだろう」(「別冊太陽 60’s~90’s」1991年平凡社)という舞台だった。本映像は、白虎社結成10年を記念して、その野外編として神奈川県藤沢市、熊楠も住んでいた和
「Caddy! Caddy! Caddy!」は、フォークナーの小説『響と怒り』、『アブサロム、アブサロム!』、短編小説『エミリーへのバラ』の抽象的な描写を題材にしたライブサウンドスコアとダイナミックなインスタレーションを伴う作品です。ダンスは、閉塞感、束縛、悲しみ、孤独、勇気を表現します。最終的には、ステージが無数の光の色の糸が空間に広がる息をのむようなフィナーレへと展開します。シンプルな照明の変
「H」は、human(人間)、hope(希望)、homeless(ホームレス)、hurt(痛み)の意。コロナ禍において増加する貧困生活者や苦しみを抱えた方達が心身の豊かさと希望を取り戻すきっかけとなることを願い、横浜・東京の公共空間を主とした8会場で、新人Hソケリッサ!新作ダンスパフォーマンス『ヒニヒリズム/今度会ったらロクでもない奴らと仲良くなりてえ・・』、映画上映、トーク、WS、展示を展開。
super reflection
万華鏡のように映し映され合いながら動き続ける複数の身体。ある瞬間に、通じ合えたような束の間の安堵を味わったり。またある瞬間には、はたと逃れようのない個/孤を自覚させられたり。肉体の間に働く求心的な引力と摩擦、衝突、その営みが「super reflection」となる瞬間を求め続けている。
遠藤が20数名のダンサー達と作り上げた作品。学校校長であった遠藤の父親が、焼けた校舎の跡に芽吹いたメタセコイアに勇気づけられ、絶望の淵から学校の再興を決意した体験から、自然が人間にとって如何に大切かをテーマに作品制作に取り組んだ。
「消失」し続ける身体。そして「消失」しても、なおそこに「在る」ダンス。創作活動の出発点となった劇場で、自身の原点と立ち向かう三部作。果てしない身体の探求 舞踊を捉え直すために必要な逸脱 ルーツへ その先の詩体へ。1「遺された軌跡」2「Vanish」3「風景とともに」
Noism設立15周年記念作品。「Fratres」とはA.ペルトの同名楽曲のタイトルであり、ラテン語で親族、兄弟、同士を意味している。他者との関わりが先鋭的に希薄になりつつある現代社会において、同士を求め、集団活動を標榜する舞踊団として、本作品を発表することは、創作及びその実演によって“その意味するところ”を“集団的に”見出すためである。その祈り、その儀式こそが本作品の主題である。
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
本作品は1967年に寺山修司が主宰する演劇実験室「天井棧敷」の旗上げ公演として上演されました。寺山作品初期に見られる母子の愛憎、寺山自身と母との確執をモデルに描いた作品となっています。B機関は演劇と舞踏の融合を目的として舞踏家の点滅が2016年から2023年まで主宰した演劇舞踏ユニットです。本作品は2017年に上演されたその第二回公演となっております。
川口隆夫ディレクション企画「舞踏 ある視点」
Tokyo Real Undergroundでアーティスティック・ディレクターを務める川口隆夫が振付・演出を手がけた新作。舞踏家・吉本大輔とコンテンポラリーダンサー・酒井直之。数世代を分かつふたりが、迷宮に棲む怪物を通して新たなダンスの地平を切り拓く。映像作家・鈴木章浩は単なる舞台公演の記録ではなく、’60年代のアンダーグラウンド・フィルムを思わせる映像世界へと誘う。―迷宮の奥深く暗いところで息を
戦争の惨禍を通し人間の悲喜劇を描いたゴヤの版画から着想を得た「サイレント・オペラ」。ヒトラー政権下のユダヤ人迫害を題材に作曲されたライヒの「Different Trains」が使用され、踊り手達は椅子に縛られたままで、運命は変えられないことを暗示する。終わらない惨劇に目を向けるためにも、こういう作品が必要だと古川が指摘している。Act 1:朝(使用曲:スティーヴ・ライヒ「Different Tra
田に沈む数限りない歴史のあしあとを踏む砺波平野の風をめしませ、「嬶ァ烈伝」。城端町細野の田んぼの上に造られた野外劇場で、田の神様の力を借り、カミさん(嬶ァ)の底力を踊る。観客は開演2時間前の日の暮れる前から屋台や出し物も楽しんだ。
ブラジルで6月に全国各地で行われる伝統のお祭り(収穫祭)からインスパイアされた作品。若者からダンスのレッスンには普段はかかわっていない年配まで参加しており、どこで上演してもブラジル人に親しまれる作品。
元々は大衆浴場だった場所が舞台。しかし、廃業して随分と時間が経って、随分とひび割れていたり、水草が生えたりしている奇妙な空間。そこでは女たちが働いている。あたりが暗くなってくると、やがて、男が女たちのもとを訪れる…。どこまでが本当で、どこからが嘘なのかわからない幻想的な会話が続く…。川端康成の「眠れる美女」をモチーフに、幻想的に、儚く、不思議な物語が立ち上がる。
「ダンスの持つ抗えない魅力を、ダンサー自身が取り戻す事」を第一のテーマに、踊り尽くした末の、意味や記号から解き放たれた体から初めて生まれる関係性を提示した作品。「欲望も抑圧も、産まれた時からお皿に並べられていて、好きも嫌いもないままについ手が伸びちゃう程には食っちゃ寝て、その分大きくなったら誰かに食べられて、どんどこシェアされて循環してるこの体の緑。かなり。」
Noism0
2021年「境界」を共通テーマとした山田うんとのダブルビルで発表した金森穣作品。「近くて、遠い、此処」。果たして此処とは何処か。それが定まらない限り、何が近くて、何が遠いのかを理解することはできないが、現代情報社会では地球の裏側の出来事を“近い事”として理解し、目の前で繰り広げられる出来事を“遠い事”=自らに関係のない物事と捉えていることに対する金森自身の問題提起といえる作品。
歌舞伎ミュージカル
井原西鶴原作の浮世絵草子を知念正文が構成脚色。身を焦がす恋に命を燃やした美しい五人の女たちを歌う舞姫、石丸有里子が見事に演じ分ける。人形振り、ひきぬき、けれん……など、あらゆる歌舞伎の手法を駆使し、日舞はもちろん洋舞、アクロバットダンス、三味線の生演奏、肉体でみせる桜の踊り、火の踊り、舞扇の群舞と、盛りだくさんのエンターテイメント作品。
JADEフェスティバルの委嘱を受け、舞踏の創始者、土方巽の遺文集「美貌の青空」をタイトルに、土方へのオマージュを込めて創作されたKo&Edge.coの旗揚げ作品。
人間のいとおしさを謳いあげる大豆鼓ファームの、初の東北遠征公演。青葉城下に位置する大橋の下、広瀬川の流れの上に舞台・客席を設営、舞台バックの川面には高さ8メートルのステンドグラスを立ちあげた。川と共に生きる川原者たち―女はヨタカ、男は泥棒-が盗って笑って捕られて泣いて、泥無垢姿の人間模様を描き出す。公演は度重なる雨天にみまわれ、舞台の上にも川が流れる。路上時代から使われていたピアノはついにお釈迦と
「ささらもさら」とは、広島弁で“滅茶苦茶”の意。広島は、1945年、原子爆弾によって滅茶苦茶にされた。一瞬の光が全てを絶滅するかのように変えてしまった。作品テーマは、「原爆の過去、現在、未来」。原爆そのものを描くのではなく、それによって引き起こされた、人々の悲しみ、憎しみ、恐怖、怒りといった複雑な感情と、歴史的にも世界的にも止むことのない不条理な状況を、普遍的イメージとして舞踏化した作品である。
古川あんずは1991年にベルリンに移住し、1996年までブラウンシュヴァイク教育美術大学のパフォーミングアーツ学部で教鞭をとっていた。本作は、カフカの『変身』をベースに古川が学生達と創作した作品のダイジェスト版。タイトルの「Verwandlungsamt」は、『変身』の原題でもある「Die Verwandlung」と、事務局や管理局、役所などを表わす「Amt」から成る造語。
eX...it !
1995年から4年に一回 ブルーリン城にてデルタライと吉岡由美子の主催で開催されてきた舞踏フェスティバル最終回のビデオ記録。Ex の接頭語は内から外へ、のベクトルを持つ。experience, exchange, explore, experiment! をモットーに相違を超えて、お互いに切磋琢磨し、それぞれの舞踏の熟成、深化を目指し、毎回、多くの参加者、講師と 共に、時には喧々囂々 口論しながら
音楽の贈り物(ポトラッチ)
1985年3月から渋谷ジャンジャンにて行われたシリーズ「音楽の贈り物(ポトラッチ)」の第二弾。毎回様々なジャンルからの演奏家を招き、古川あんずのダンスとの共演を試みた。第一回は山下洋輔(ピアノ)、第三回は安倍圭子(マリンバ)、最終回には杵屋弥十介(三味線)が出演した。プログラム 1.ヒロシマのメンデルスゾーン / 2.アリババと40人の盗賊 / 3.シャーロック・ホームズの冒険
Dance New Air 2018
選べない交われない戻れない許されない終われない分からないそれでも嬉しくてまだ止めないただただ身体がもげそうで
夕日を浴びて畑から馬車に乗って帰宅する少女たち、威勢よく滑走するたくましい少女たちの姿に感動とインスピレーションを受けた作品。1961年にユバ農場に入植した小原明子が弓場農場で創作した最初の踊り。
あんず動物紀 [Anzu’ology] Ⅲ
「あんず動物紀」シリーズのうちの3作目となる「鳥」の初演。チラシにはダ・ヴィンチの次の言葉が引用されている。「大地は、その上に憩える一羽の鳥によって動かされる。」プログラム: 1.スーパーマン / 2.ジャスミン・キスミン / 3.月の兎
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
「いますぐそいつを脱げ」「なぁに、世界なんてまた作ればいいんだ。2人で!今宵から!」世界的ベストセラー小説「百年の孤独」にパパ・タラフマラが挑む! 設立時からの念願が24年の時を経て実現した。超現実的で、生々しく、時にユーモラスな、ブエンディーア一族百年史。ガルシア・マルケスの「百年の孤独」からインスパイアーされた本作は、現実と非現実の境目を自在に行き来しながら、性欲に溺れ、孤独に悶える、悲しくも
ダンスがみたい!—批評家推薦シリーズ—
ケイタケイは1969年9月、「LIGHT」でニューヨークデビュー。同年12月には「ランチ」を発表した。「LIGHT, Part 4 “ジクゾーパズル”」は1970年12月初演。2005年の「ダンスがみたい!7」では「批評家推薦シリーズ」として参加団体の選出の理由などが推薦者から明示された。ケイタケイを推薦したのは舞踊評論家の山野博大は、オックスフォードの舞踊事典に、伊藤道郎、森下洋子、土方巽などと
Noism初、映像のための舞踊作品。2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行により、世界中を取り巻く環境は大きく変化した。“公演の記録映像の配信”ではなく、この社会状況下だからこそ生まれる“映像で観ることを前提とした舞踊作品”として金森穣が創作したNoism初の「映像舞踊」。Filmyで現在有料配信中。
「Curious Fish - 奇妙な魚」は2001年、サンフランシスコ舞踏フェスティバルにて初演。その夏のエジンバラ・フェスティバル・フリンジで5つ星を獲得した。このダンス作品は水俣病と水銀中毒に着想を得ている。1970年代、日本では多くの場所で高度経済成長が引き起こした深刻な環境汚染に見舞われていた。ひどい悲劇の中、特に河や海は奇形の魚であふれた。猫や犬や鶏はそんな魚を食べ、死のダンスを踊った
五條《妹の力》シリーズ第3弾
舞踏カンパニー倚羅座は、芸能の源流にみられる魂振り(命の活性化)の力を現代のアヴァンギャルドな舞踏に蘇らせることをめざし、白虎社出身の今貂子により2000年に結成、京都を拠点に活動を続ける。2007年から2016年までは、旧花街に残る歌舞練場での毎年の公演に取り組んだ。「孔雀船」は魔を破る孔雀明王をモチーフに第3作目として制作。和の伝統的劇場、長唄の生演奏での公演は毎回多くの観客で賑わった。
1982年ソウルから始まった「アジア演劇祭」の第二回の開催地はマニラ。映像では、開会式やパレードの他、インドのオリッシー舞踊、インドネシアのTheatre SAE DKI、台湾Lan-Ling Theatre Workshop、韓国Dae Ha Dramatic Troupe、フィリピンからの参加団体による作品を紹介する。日本からはYokohama Performance Group、さらに白虎社