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英国の小さな田舎町で平穏な年金生活を送っていたジムとヒルダの老夫婦。ある日突然ラジオから戦争勃発を伝えるニュースが流れ、ジムは大慌てで政府発行の“戦争に生き残るための手引き”と首っぴきで室内用核シェルターを作り始める。ヒルダの方は戦争など他人事、ひたすら家事に夢中でどっちが勝つと思う?など呑気な話をしている。二人にとって戦争といえば第二次世界大戦の思い出だけで核戦争の実感は少しもないが、政府のいう
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
シャッターが目立ち始めた駅前商店街のある町。変わらない車窓に流れる風景のような毎日を生きる母。そんなレールから、分岐を切り替えた「わたし」を責めるように響きわたる踏切の音。そして母が、わたしが目指した場所は…「笑っちゃうほど滑稽で、泣いちゃうぐらい いとおしい」物語。
・「茄子娘」古典落語。茄子の精と和尚との不思議な邂逅と軽妙な会話を描く。演者は桂南楽。・「長屋の花見」古典落語。貧乏長屋の住人によるこっけいな花見の様子を描く。演者は桂銀治。・「対策は合言葉」自作落語。振込め詐欺対策で合言葉を考える母と息子の軽妙な会話を描く。演者は吉原馬雀。・「火焔太鼓」古典落語。貧乏な骨董商の夫婦がまさかの掘り出し物を見つける。演者は立川らく兵。
昭和九年十二月二十四日月曜日。東京本郷区曙町にある理学博士寺田冬彦邸。主、冬彦がしかつめらしい顔で煙草をくわえている。別に、怒っているわけではない。普段のことである。まわりには妻りんをはじめ、個性豊かな家族が太陽系宇宙のように取り囲む。そこに突然彗星の如く事件が飛び込んできた!小春日和に雲が差し、雨からやがてしんしんと降る雪に変わる。招き猫が見守る中、寺田家の喜怒哀楽の一週間が過ぎてゆく。
STORE HOUSE Collection Excellent Works Vol.4
2018年上演作をストアハウスコレクションに合わせ再考した舞台。東日本大震災の記憶を留めた和合亮一の『詩の礫』は優れた現代詩であると同時に優れた記録文学である。遊戯空間では震災以後、和合の現代詩『詩の礫』『詩ノ黙礼』『廃炉詩篇』などを繰り返し演劇化してきた。当時の絶望感と憤りを鮮明に想起させる言葉の力により、本公演が、3・11の記憶を呼び起こし、現代社会を再考するきっかけとなることを願う。
【あらすじ】舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、何かが起こりそうな予感...。するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。霧が晴れるまで休ませ
2019年の三鷹で描かれた、公務を担う母と定年を迎えた父の別れ。女と男、妻と夫の、過去から今から次へのお話。実話を基に子が脚本を書いて演出し、実父も出演する、母と家族の歴史。
ゴーリキーの『どん底』は日本でも100年以上前から数多く上演され、劇団民藝では創立10周年と40周年の節目に上演しましたが、その歴史的傑作が吉永仁郎氏により戦後間もない東京を舞台にした創作劇へと大胆に生まれ変わりました。闇市を頼りに底辺でたくましく生きる人々のユーモア溢れる群像劇。劇団創立70周年記念作品。
1966年横須賀どぶ板通りにあるスナック・マイアミ。ママのみきには肌の黒いアンジェラという子どもがいる。アンジェラは白粉を塗りたくった顔で聞く「ママ、どうしてあたしは黒いの?」。1981年のスナック・マイアミ。ダンサーになると出て行ったアンジェラ(19歳)が帰ってきた。子どもができたら10万円くれをいう。戦争のにおいが消えない横須賀どぶ板通りの人間模様が、”いま”を語りかける。
カラフルな絵本の世界にようこそ!子どもから大人まで三世代で楽しめる年齢不問のエンターテインメント!ご存じ世界で初めて飛行に成功した ライト兄弟の物語!!︎ ではなく… ライト兄弟に憧れたある兄弟が、 亡き父の夢を果たす為 さまざまな困難に挑戦するおはなし
髙山さなえの尼崎市第7回「近松賞」受賞戯曲を平田オリザが演出する。「だまされたことさえ、忘れてしまえるなら・・・」山深い田舎の集落。馬留徳三郎と妻のミネは二人でここに住んでいた。近所の認知症の年寄りや、介護施設から逃げて来る老人達が馬留家に集まり、仲良く助け合いながら生活していた。ある夏の日、徳三郎の息子、雅文から久しぶりに電話がかかって来た。仕事でトラブルがあり、部下が間もなく馬留家に訪れると言
◎公演概要観終わった後、きっと優しくなれる劇です。高齢化社会の「今」を切り取るバカバカしくも切ないシニカルな芝居です。老人を取り巻く環境、その家族の葛藤。老若男女、誰にとっても未知なる老い先を演劇で切り取ります。◎あらすじ国無歳三(自立、まだらボケ)が老人仲間4人とともに有料老人介護施設から集団脱走。介護士の久留美と孫の菊代は旅に同行するハメになる。統率が取れていることを不思議に思う久留美。菊代は
パクチーを育ててるんだと彼女は嘘をついたとある地方の寂れた町。結のアパートは町の真ん中からさらに離れたところにある。鉢植えばかりになった小さな和室にももう慣れた。慣れたというより違和感に悩む余裕がなかった。種まきから収穫まで淡々と、けれども抜かりなく育てる日々。大学の授業も抜かりなくこなす日々。そうしてすべてにおいて抜かりなくやっていたはずなのに、いつの間にか取り返しがつかないことになっていると気
とある集合住宅の一角、部屋いっぱいある体の大きな子供が座っている。父は流行病を患い熱に浮かされながら思い出を彷徨っている。生まれた時のこと、まだ小さな頃のこと、発達に遅れがあると聞かされた時のこと……。柴田智之が障がい児のデイサービス施設で働いてきた経験を元に描く、家族の物語。
九州の田舎町。建設業を営む「岡本一族」の繁栄から没落までの、昭和から平成へかけて激動の 10 年間を描き、地域住民の現実と、生きる意味とは何かを問う壮大な人間ドラマ。戦後の世の中を激しく生き抜いて来た一族の落ちぶれてゆく様は、まるで潮の満ち引きの水面のように、静かに、ひたひたと、上がっては、下がってゆく……。
「あの日 私の世界は変わった 春は忘れない 私の悲しみを」2011年3月、弟はこの世を去った。通っていた大学の渡り廊下から落ちて死んだ。その大学で准教授だった父と、証券会社で働く僕はどうもそりが合わない。正直、弟のことも苦手だった。だけどあいつのことばかり考えてしまう。こんな春の日には。家族の喪失と再生の物語。
1人のキャストとその日の観客から1人を舞台上に招き、介護する/されることを舞台上に再現した『ツァイトゲーバー』、事前に村川から送られてきた手紙(指示書)に沿って舞台上の出演者が動く『エヴェレットゴーストラインズ』など、ドキュメンタリーの手法を用いながら表現の前提を揺さぶり、同時に生のリアルを追求する村川拓也。今回村川がリサーチの過程で注目したのは、文化会館で数多く開催される「ピアノ発表会」。そこに
突如現れた「アレ」によって避難指示区域となった街。高校二年の春から、かれこれ二十年引き籠もり続けるニシダ君はわずか十日で出産する謎の女ミクニとともに「軍隊作り」に着手する。そんな中、妹サチコは自分たちを捨てた父と密かに文通を始めるのだった。消えゆく風景と記憶。遠くの教会から届く鐘の音が呼び起こすのは、母が語った福音書―。伊豆野眸「家族三部作」の第二章。
「男性の性暴力被害」を描いた作品。特班記者のコースケは、ベランダに金魚を飼っている。友人・ノゾミの影響だ。ある日、コースケが勤める編集部に、子どもの頃、ノゾミの父親から性暴力を受けたという男性がやってくる。甦る過去の記憶。ノゾミとともに過去に立ち向かおうとするコースケに、弟のリオはリスクを問う。男性の性暴力被害者たちが幼少期からの被害を告発する葛藤と、互いの存在を頼りに過去の自分と向き合いながら回
COCOON PRODUCTION 2023
青年が老婆を拾った。社会にうまく馴染めず、派遣のピエロの仕事でギリギリ生活をしている青年(竜星涼)。しかしそんなピエロ業も、決してうまくはいっていない。ある日、道端の老婆(高橋惠子)に手品で花束を渡すと、老婆はどこまでもついてきた。そして、青年の部屋にまで上がってきた。すぐに老婆を帰そうとするも…、青年と老婆の不思議な共同生活が始まっていく。青年を心配する兄夫婦(藤井隆/山田真歩)、仕事先の女性社
遠くて近い国・アイルランド。詩的で浪漫的なシングと現実的で科学的なグレゴリー夫人。現実の中の壮大さと野性的なものを描いたダイナミックさ愚鈍なほど素朴で純真さを持った土着性と骨太な人間臭さをぜひお楽しみ下さい。
四国の田舎で隕石を拾った天文マニアの男たちの物語。その隕石は見た者の思考を奪い、時間を止めてしまう。誰かの手を借りない限り目をそらすことはできず、一人で見たら最後、餓死するまで見続けることになる。もう一つの特徴は、見た者に恐ろしいほどの幸福感を与え、見た時間の記憶は無く、ただ幸福感だけが残される。天文マニアと隕石の出会いから、100年後の行く末までを、日常がズレで大状況になっていく「イキウメ・スタ
ねずみのちゅうたはなまけもの。いつも寝てばかりいる。おなかがすいて買ってきたチーズをどこかに落としてしまった。どうやら猫が取ったらしい。ねこにどんな仕返しをしてやろうかと考る。床屋になってねこの大事なひげをちょん切ってやろうか、それとも海賊になってねこを海にジャボンとつけてやろうか、それともサーカスでねこに綱渡りをさせてやろうか…。ところが、そのねこがチーズをひろって返しに来てくれました。実はこの
地下の安宿では、今日も朝からたわいない喧嘩が始まる。饅頭売りのクワシニャー、病身の妻・アンナを顧みない錠前屋のクレーシチ、男爵と呼ばれる男はナースチャーに茶々を入れる。宿の主人コストイリョフが女房のワシリーサの行方を訪ねに降りてくれば、こそ泥のペーペルと衝突する。行き場の無い人間達がふきだまるそんな宿に、巡礼のルカが来る。彼の啓示めいた一言ひとことが、やがて波紋のように宿の住人の心に広がっていく。
河野紗代子(音楽)と清水美紗都(ダンス)が1つのテーマに対して感性をぶつけ合った共同作品。「黄色」という色にどんな印象を抱くだろうか?太陽や星、菜の花やひまわりの元気で温かい色。反対に、踏切や信号、標識など危険を喚起する色。日本人には、黄色人種=アジア人ヘイトの問題があり、映画界では、紛争や貧困地域の描写に黄色い色を映像に重ねる「イエローフィルター」も近年問題視されている。本作では、「黄色」が持つ
どこにでもある交差点には、欠かすことなく花が供えられている。通りかかる誰もが、それを見て察する。「ああ、ここで人が死んだのだ」1つの不幸な事故をめぐり、交わるはずのなかった人間関係が生まれた。めぐりめぐる、まじりまじわる、ぐるぐるぐるぐると、奇妙なワルツのように……。暴走する大人の事情―――ノンストップ・トラフィック・サスペンス。
「場所にこびりついた記憶」と「記憶の空洞」をテーマに、メンバー各自の地元に赴き、その場の記憶を拾い上げ、その場に居た私たちにしか掴めないものを探した2週間の「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」そこから、記憶というテーマはずらさずに、演劇史や過去の創作物を進歩史観に照らし合わせ、ちぎってはつなげて生み出した「ZAZI・ZOO JAPAN TOUR 2023」最終章。
これはたぶん、ストーカー的に誰かを好きな女の人の話で、その恋は全く報われていない、報われる気配がない(というか相手が実在するのかも怪しい)、のだけれど、それゆえにかえって独自の深化をとげて、不思議な塩梅で彼女を支えています。それは、執着といえば執着で、でも不思議とねじくれたところなくスキッとしている。他人に迷惑かけてない。ヘルシー!すっかり擦り切れて、ヤサグレかけていたところに降りそそぐ、甘い露。
2024年に日本初民間小型ロケットを開発・打ち上げを行う会社の軌跡を描いた物語である。2008年に制定された宇宙基本法により、民間の宇宙開発が可能になった。16年の月日が経ち、いよいよ宇宙に向けてロケットを飛ばせるようになる。しかし、打ち上げの失敗により予算は底をついてしまう。その後、買収の話が持ち上がった時、会社と社員の選んだ決断とは。人生の逆境をいかにして乗り越えるか、夢の本質が描かれる。
佐賀県唐津市の郊外で先祖代々の土地を守り続けてきた専業農家。息子はアメリカに留学し、佐賀の農業大学で講師を務めながら農山漁村と都会の交流をめざす新しい観光業に燃えている。そんな折、農業高校からホームステイで受け入れた高校生はコンビニ依存で…。クローン牛に遺伝子組み換え、ダイオキシンに環境ホルモン。農業を取り巻く環境が大きく変わる中、食の安全を求めて「身土不二」の教えが再び浮かび上がる…。
日々ニュースで流れてはすぐに忘れられていく数々の出来事や問題と私たちの生活との距離について扱った作品。10分に再構成したバージョンの作品が、横浜ダンスコレクション2020 コンペティションⅡにて奨励賞受賞。
とある町の外れにあるおもちゃリサイクル工場。いつもの社員と派遣パートの女達が働く部署に、お仕事マッチングアプリに登録したばかりの68歳の男が初めて仕事に来る。「おもちゃが一つ足りない」という些細な事件をきっかけに隠れていたそれぞれの心の中がみえてきて...。音楽やダンスも取り入れて客席と一体になる今作は子どもの心も掴み大人の心にも響く。人々の日々の営みをユーモアたっぷりに描いた、パショパショ流プロ
僕は、あくまで僕が行う演劇において、社会や未来や観客や人類に対しての「問い」を持つべきだという考えに取り憑かれて創作をしています。年齢や出身地なんか関係ない。運命や希望や絶望などとも関係ない。僕だけのオリジナルな、完全無欠かつ純粋無垢で邪悪で妖艶で現実的で蠱惑的で幻想的で残酷な「問い」を持つこと。かといってそれはさも「問い」らしくあらないこと。「問い」ぶらないこと。「問い」を生み出そうとか、そうい
「25年前の俺たちが、今の俺たちを見たらどう思いますかね」時代の狭間に生きる哀歓を描く、 ケラリーノ・サンドロヴィッチの新境地!1993年、バブル景気が終息した日本。旅行会社を経営する赤本建三(三宅弘城)は、東京郊外の一軒家に妻の亜子(坂井真紀)と娘の桃子(根本宗子)と住む。家には亜子の弟・光吉(赤堀雅秋)が居候し、その元妻・浩子(新谷真弓)が夜な夜な訪れる。だがある深夜、七ツ森豊(安井順平)の死
子供の頃から時代劇が大好きで、中でも金之助の大ファン、落語は痴楽、高校時代は演劇部に席を置き、ヒッチハイクで一人旅もした。そんな男がある日、サウナで記憶をなくす。男は自分の名前すら思い出せない。やがて断片的に甦ってくる青春時代の記憶。
昭和15年、朝鮮・水原(スウォン)郡。日本政府による「創氏改名」の任にあたる日本人青年と、親日家でありながら改名を拒んでいる地主。その家に700年に渡り伝えられる、一族の系譜がつづられた「族譜」に圧倒されながらも説得を重ねるが、やがて地主の周辺で日本政府による圧力がかかり始める…。朝鮮半島における「創氏改名」政策の真実を描いた原作を舞台化。国家と文化のありようを問う。
『かもめ』の中に、情熱を持ち続けることの難しさや拭いきれない孤独など、現代社会と通じる問題を照らす。新たな世界へ飛び立ちたいと願い戦いながらも希望を失い妥協していく人々と、傷つきながらも妥協を拒絶し再び立ち上がろうとする人々の人生を、冷たい視線から赤裸々に描くことを通して《今の社会において人はいかにして死に、又は生き続けられるのか? 現代の不安定な生を支え得るものは何であるのか?》について問い直す
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
劇団青年座創立四拾五周年記念公演No.3
笛の音の様に鋭くなまめかしい風が吹く大菩薩峠頂上。一休みする老巡礼を一刀のもとに切り捨てた机龍之助は、武州御岳山ふもと沢井村の「甲源一刀流沢井道場」の跡取りであった。折しも4年に一度の御岳山奉納試合に龍之介と立合うことになった宇津木文之丞の妻お浜は、夫に勝ちを譲るよう懇願するが、もとより応ずるはずもなく龍之助はお浜を犯す。この事実を知る文之丞。遺恨試合となった結果、故郷を追われる龍之助とお浜は江戸
コンピューター・ウィルスがついに日本上陸。あるソフトウエア開発会社のホスト・コンピューターにもウィルスが侵入した! 4人の技術者たちは阻止に知恵を絞りながら悪戦苦闘、ついにハッカーを突き止めるが、ウィルスは技術者たちの想像を超えて暴走し始める……。 めざましい勢いで進化し続けるコンピューターは、どこまで人間に近づけば気がすむのか? そもそも人間は新しい生命体を創り出す神になれるのか? SF的世界の
フリージャーナリスト「市井宗高」が紛争国に入り、消息を絶つ。母「順子」は無事を祈りつつ、毎日お百度参りをし、鶴を折る。宗高の友人で新聞記者の「司由起人」は順子に取材を重ねるが、宗高の妻「実花」は「これは自己責任だから」と言いだし、取材を拒否するよう順子を諫める。そんな折、テロ組織に拘束された宗高の無惨な姿がニュースで流される。一方、由起人には30歳過ぎてなお非正規雇用で苦しい生活を続ける弟「真奈人
ぼんぼん盆の十六日に地獄の地獄の蓋があく ────夭折した明治の女流作家・一葉を取り巻く5人の女性たちが織りなすこの世とあの世の境界線。景気で浮かれる上層と下層の間で、美しい文体で時代ともに生き抜いたあらゆる階級の女性達の頂上から底までを見た一葉...。24歳6か月の若さでこの世を去るまで多くの名作を発表した夭折した天才女流作家の"奇跡の14か月"とは...。
椿組2023年春公演
「あんた、わたしの一生は小説よかもっと小説のごたるばい」 老女たちは薄羽かげろうのような私をはじきとばして、目のまえにずしりと坐りました。その姿には階級と民族と女とが、虹のようにひらいていると私には思えました。 『私は何かを一生懸命に探していたのです』・・・・森崎和江著「まっくら」より。 戦後、筑豊に生きる女炭坑夫ら百年の聲を聴き歩いた森崎和江。 彼女の出逢った男と女の物語・・・「負けられるか!」
若き編集者・福島は運命の夜を迎えていた。今夜中に原稿を取ってこなければ、クビになるのは間違いない。彼が原稿を取りに向かうのは3人の作家。その名も、宮澤賢治、太宰治、中原中也。果たして作家たちの新作は無事に書き上がるのか。そもそも福島は、なぜ作家たちに会っているのか。抜きさしならない長い一夜の夜明けが近づいてくる。
1本の老木をめぐる3つの物語。時代の転換点に浮かび上がる多様な思考。チェーホフの名作『桜の園』をベースに矢内原美邦が独自の視点で描いた1本の老木をめぐる3つの物語。この木を伐るか、否か。そこにはそれぞれの主張があり、賛成があり、反対があり、いくら言葉を費やしても果たしてそこに正解はない。言葉は意味を失い、時間を失い、どこか遠くのほうをさまよいはじめる。もう誰も信じない... 君が「そうだ!」という
芸劇eyes
ある日、2つの家庭のリビングルームが、1つの空間に重なってしまう。1つは1945年、オーストリアとハンガリーの国境付近の村レヒニッツ。空想の旅に出ることが娯楽の三姉妹の家。もう1つは2024年の日本。高齢兄妹、泉縫(いずみ・ぬい)と妹の伊緒(いお)の暮らす家。1945年3月24日に起きた、パーティーの余興として200人のユダヤ人が殺されたという「レヒニッツの虐殺」までを過ごす三姉妹と、現代日本に住
佐賀県唐津の専業農家。父の急死で一家の命運はズシリと長男の肩にかかってくる。財産分けをねらって乗りこんでくる叔父、都会へ出た弟妹たちの遺産相続をめぐる思惑もうずまき、嫁、姑の対立も深まる。赤裸々な人間の姿をユーモア豊かに描き、「日本農業」の現状と明日を問う。1997年まで全国巡演を行い、公演数は300回を数えた。
あるとき鶏がささやいた。そのままでいいのか。お前はコントロールする側じゃないか。支配する喜びを知れ。だがなにも実現できなかった。またあるとき牛がいなないた。そのままでいいじゃないか。大きいからこそできることがある。実現できる喜びを知れ。だがコントロール不能だった。中国は言う。鶏口なるも牛後となるなかれ。日本はどうだ?“起業”をテーマにパラレルワールドに描く2つの物語。はたらくすべてのひとたちへ。
童話「ヘンゼルとグレーテル」をもとに、それを現代に置き換えた兄妹の物語。貧乏な家庭に育ち、両親から逃げてきた兄と妹が辿り着いたのは、深い森の中にある、お金持ちの別荘。その別荘にある高価な物たちを見て、兄妹の興味と欲が溢れ出していくが、物に触れるたび、逃げてきたはずの怖い両親からの記憶が襲いかかる。その場所は不思議な現象が起こり続ける〝おかしな家〟であった。その不思議な現象を、小沢自らが作り上げる舞
英国を代表する劇作家、ダンカン・マクミランの2007年発表の戯曲。子供が抱える問題、そしてその責任はどこにあるのか。これは希望と、その希望を失ったとき誰もが感じる痛みについての物語。
1986年26歳にて岸田國士戯曲賞を受賞した川村毅による、翌1987年の新作『フリークス』はPARCO劇場提携により、パルコ・スペースパート3にて初演。翌88年ザ・スズナリにてDAISAN EROTICA Festivalと銘打ち、最新作『フリークス」と旧作『コックサッカー・ブルース』を同時上演。
人はなぜ体を鍛えるのか。まずは、そのことについて深く考える必要があるだろう。体を鍛えて筋肉量を増やしていくことに、いったい何の意味があるというのだろう? 何が私たちを筋トレへと、駆り立てるのだろう? 踊る毛抜と踊るダンベル。シャル・ウィー・ダンス? 程なくして私たちも踊りだす。ワン・ツー・スリー、リズムに合わせて。歌舞伎十八番のひとつ『毛抜』と、三島由紀夫の肉体論が、今、響きあう!
祈りのナガサキを舞台に紡がれる母と息子の命の物語。2021年夏、ヒロシマ(『父と暮せば』)、オキナワ(『木の上の軍隊』)に続き、ナガサキを描くこまつ座「戦後"命"の三部作」第三作が待望の再演。井上作品の担い手として数多くの作品を手掛ける演出の栗山民也、情感豊かな演技で陰陽併せ持つ母親像を表現した母・伸子役の富田靖子、母への想いを熱量豊かに演じた息子・浩二役の松下洸平。井上ひさしの遺志を受け継いだス
3LDKの高見家に住むのは、会社勤めのお父さん、専業主婦のお母さん、バリバリキャリアウーマンの娘、大学生の息子。一見どこにでもありそうなフツーの一家だが、ある日、お母さんのお母さんが、アキレス腱を切ったことを理由に同居を求めてやってくる。なんとか同居を断りたい高見家だったが、追い打ちをかけるようにお父さんのお父さんまでもが独り暮らしの家を売り払い、同居を求めて乗り込んで来てしまう。ずるずると窮屈な
元新聞記者のヤブさんは、妻に先立たれ60代半ばで独り暮らし。やがてヤブさんの目に異変が起こる。右目で見える像と左目で見える像がブレ始め、二つの像はとうとう独立してしまったのだ……。ヤブさんから見れば娘の佐和子も2人、娘婿でかつての部下の松木も2人……。事態にうろたえたヤブさんは、なんとか収拾を図ろうと自分に言い聞かせ、ついに余計に見える像を消すことに成功するのだが、消されたのは本物の佐和子と松木
父さんと母さんが別々に暮らすことになった、大人の理由はわからない。キレイな月が出ている夜だった、とにかく、ここではないどこかへ行きたいと願うと雨が強く降った。流されてゆくぼくの部屋は舟に変わっていた。何があったのか忘れてしまう程時間が過ぎた頃、舟はひとりのピエロが暮らしている島にたどり着いた。彼の名前はマッテル、僕たちはともだちになった。ふたりで旅に出かけた。公益財団法人北海道文化財団20周年事業
ミュージカル
動物たちが仲良く暮らす「ポカポカ村」に牛のカンタロー君が引っ越して来ます。カンタロー君は今まで暮らした村々で体の黒いブチブチをからかわれて、友達ができませんでした。心優しいポカポカ村の住民は彼を温かく迎え入れて、村のお祭りである羊さんの毛刈りを一緒に楽しみます。真っ白な羊さんの毛をみたカンタロー君は「これだっ!」とひらめき思い切った行動に出ます。でもその行動が、村中を巻き込んだ大事件に発展するので
芸術家の価値とは何でしょうか?一体何の為の創作活動なのでしょうか?私は制作の価値について考えた。めまぐるしく移りゆく現実の前に虚構の物語というものが必要であるか否か……。
ものがたり 山の竹やぶにトラが住んでいた。名前はトラノトラゴロウといった。ある朝目をさますと、お誕生日のカードとトラゴロウの大好物の肉まんじゅうのプレゼントが置いてあった。早速食べようとしたトラゴロウに、カラスが行儀が悪いと注意する。仕方なくお皿とローソクを借りて戻ってきたが、肉まんじゅうがなくなっている。トラゴロウはカラスに騙されたと思ってかわりに食べてやろうと出かけていくのだが、今度は仇敵りょ