OSAKA DANCE EXPERIENCE
OSAKA DANCE EXPERIENCE
“全てはオソレとコウテツの仕草で物語れる” フランス前衛演劇の傑作、ジャン・ジュネの戯曲「女中たち」から構想され、前年11月に東京で初演。ジュネの言葉に誘導され、大胆に読み変えられ、「三人の女中たち」は交差し、共有しあい、孤立し、そしてのぞきこみ、開示する。私の中の私、私の中のあなた、〈女の中〉。勝又敬子(草莽塾)、桜井ゆり(族長の足袋)を招き、田中陸奥子と三者三様の個性がぶつかり合う女性舞踏の饗宴。
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OSAKA DANCE EXPERIENCE
久し振りに生まれ育った街を歩いてみた。どぶ川の蛸焼き屋、寂れた銭湯の煙突、高さ1mほどのトンネル…懐かしい風景の隙間に、見覚えのないカラオケボックスやコンビニエンスストアが立ち並んでいた。幼い頃、何の違和感もなく過ごしてきた街に、こころとからだを浸してみると、蓄積された時間と空間の中から、不意に何かがこぼれてきた。私はそれが、またこぼれてくるのを、だたひたすら待っていた。
この上演に当たっては確か9ヶ月になろうとしている母體真っ只中、體は刻々と変化していた。それそのものをどう作品にするかの試みがこの公演の醍醐味だった。胎児を育もうとする體は異常に睡眠を要求する傍ら、公演などという目論見に向かっており、育もうとする母體と公演を貫こうとする意志が、闘いながら交錯して出来上がって行った。
OSAKA DANCE EXPERIENCE
舞踏を再考しようと大阪で1995年から2000年まで6回開催されたOSAKA DANCE EXPERIENCEの第1回参加作品。栗太郎率いる古舞族アルタイは、前年に北海道から活動拠点を関西に移し、栗太郎は丹波に移り住んでいた。「ワラズ」は丹波篠山の方言で藁のこと。農業と建築業をやりながら、お百姓や田舎をテーマにした作品を作りたかったという栗太郎は、そういう暮らしの中で救いようのない現実に内面的な救
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「この時代のこの日本という国が一つの水たまりであるなら、僕もそこに落ちるいってきの水。~ 僕が生きて来た中であえて分ければ、四つの印象に残るいってきに出会ったような気がする ~ そんな四つのいってきを踊りの中でまさぐりそれを通して僕という昼と夜を抱いたいってきをその水たまりに落としてみたい。」1995年1月17日には阪神淡路大震災が起こり、竹之内淳志は神戸へ馳せ参じたい気持ちと共に、鎮魂の想いを込