OSAKA DANCE EXPERIENCE
OSAKA DANCE EXPERIENCE
“全てはオソレとコウテツの仕草で物語れる” フランス前衛演劇の傑作、ジャン・ジュネの戯曲「女中たち」から構想され、前年11月に東京で初演。ジュネの言葉に誘導され、大胆に読み変えられ、「三人の女中たち」は交差し、共有しあい、孤立し、そしてのぞきこみ、開示する。私の中の私、私の中のあなた、〈女の中〉。勝又敬子(草莽塾)、桜井ゆり(族長の足袋)を招き、田中陸奥子と三者三様の個性がぶつかり合う女性舞踏の饗宴。
大阪・千日前の上方ビル4階にあった劇場。前身は、落語家や歌舞伎役者、新派の役者などが常宿とした旅館「上方」だった。1989年に廃業した旅館の跡地に、1991年に鳥居学により若手芸人の研鑽の場として設立された。寄席や講談、演劇のみならず、2001年までプロデューサーを務めた大谷燠の人脈を活かし、多くの舞踏公演も行われた。演芸場としての役目を十分に果たしたと、2020年3月に閉館後は、千日山弘昌寺の本堂となっている。
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舞踏を再考しようと大阪で1995年から2000年まで6回開催されたOSAKA DANCE EXPERIENCEの第1回参加作品。栗太郎率いる古舞族アルタイは、前年に北海道から活動拠点を関西に移し、栗太郎は丹波に移り住んでいた。「ワラズ」は丹波篠山の方言で藁のこと。農業と建築業をやりながら、お百姓や田舎をテーマにした作品を作りたかったという栗太郎は、そういう暮らしの中で救いようのない現実に内面的な救
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「一、無音であること。一、即興であること。一、1時間1本勝負であること。一、直径2mの光の輪の中で踊ること。一、周囲を観客に囲まれていること。以上の条件のもとで踊ります。私のダンスにとって真に必要なものとはいったい何か。~ かつて身体ひとつになってしまったところから始まったのが私のダンスなのですが、音楽もない小さな照明のなかから、はたして何を伝えることができるのでしょうか。」
天と地 / 火と水 / 水と油 / 生と死 / 豆腐と鉄鎚 / 右手と左手 / 石と紅 / 男と女 / 臼と杵 / 大便と小便 / 頭と尻 / 月とスッポン / 明と暗 / 無音と音 / 老子と孔子 / 兄と弟 / 金魚鉢と太平洋 / 赤と黒 / 狐と狸 / 花と龍 / 内と外 / 床と天井 / ヘビとネズミ / 鏡と人形 / 点と線 / 麦と兵隊 / 泥と砂 / 乾燥と湿潤 / 手と足 / 肘と
OSAKA DANCE EXPERIENCE
「身体の話」ひとつの身体から、様々な質感が次から次へと現われてえは消えていく、その変化の面白さ。機械的で硬質なもの、水のように滑らかな動き。空気のように漂う等々。伊藤キム独特のシャープで流れるような動きを存分に折り込んだ、即興性の強いソロ作品。「肉の言い訳」理性と本能、笑いと怒り、緊張と緩和、まじめと不まじめ、自己と非自己、芸術性と娯楽性。様々なバトルが繰り返される一個の肉の悲しくおかしい物語。