ママコ・ザ・マイム『サティ~ママコ~スル』、1988年の静岡公演より。
ピアニストの大村陽子の企画で、「ジムノペディ」などのエリック・サティの曲に導かれて創作した。
上演作品は次のとおり。
曲芸師 / ワープロとバーコードの間で眼を悪くした思いやり / 茄子の形をした日本人と豆の形をした外国人労働者 / マニュアル・ウェイター / ガラスの城
日本のパントマイムの第一人者。1935年山梨県生まれ。幼少より父にバレエを習い、東京教育大学在学中に江口隆哉、大野一雄に師事。処女作「雪の夜に猫を捨てる」(1954)が評判となり、NHKテレビ「私はパック」のパック役でデビュー。60年に渡米し、マイムを教えながら基礎メソッドを研究した。72年に帰国、「ママコ・ザ・マイムスタジオ」を設立。パントマイムに歌や語りを織り込んだ独自の形式「パンカゴ(パン歌語)」を確立した。「禅とマイム~十牛」「二人綱引き」など様々なテイストの作品を発表し続けながら、数多くの後進を育てる。92年、蘆原英了賞を受賞。2023年9月、永眠。