日中戦争たけなわな昭和14年。京都の路地裏に住むウメコは、アホやしょんべんたれやといじめられ十日も家から出てこない。今日もふかしたてのお芋を悪ガキデベソに取り上げられて泣いている。そこの現れたのが現人神(天皇陛下)とも知り合いという自称ウメコ婆さん。一人ぼっちのウメコとしわくちゃウメコは、なぜか一緒にくらしはじめた。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
戦前の新協劇団、戦後再建された第二次新協劇団と、中央芸術劇場が合同して東京芸術座の結成に至ります(村山知義・薄田研二共同代表)。以来、リアリズム演劇の創造と普及の運動を続けています。
1945年6月30日。秋田県の花岡(現大館市花岡)で、強制連行された中国人850人が、鹿島組の残酷な強制労働・虐待に耐えかねて抵抗蜂起するが鎮圧虐殺される事件がおこった。舞台は30年後の1975年、高校教師庄司は生徒たちに語り始める、30年前に何が起こったのかを。
ジャーナリストの蕗子は、津軽の婆さまから聞いた昔話「鬼の目玉」が心から離れない。目玉をくりぬかれた鬼が、目玉を取り戻そうと迫ってくるというのだ。娘の誕生日に贈った「アンネの日記」から、少女のまま死んだアンネが自分と同じ年の生まれだったことを知る。アンネをアウシュビッツに閉じ込めた鬼が、目玉を取り返ししゃれこうべの世界に戻しはしないか?蕗子はアンネの隠れ家を訪ねる旅に出る。
どけ、どけぃ!赤坂悪党、多聞丸! 田畠無うても河内一の馬借、手足で稼ぐ、馬で稼ぐ! 走れ、走れ、走るんじゃい。もの盗り・追剥ぎ、ぶった斬れ!ほやが百姓・散所、斬ったらあかん!とにかくわいは正義を成すじゃ!わかったか!
昭和のはじめ、食いつめて“自分を売る”より仕方がなくなった男たちが、函館の港に集まってきた。博光丸は荒海でメリメリと音をたてて鳴っている。重労働と粗悪な飯で身体を悪くした漁夫や雑夫が、何人も北の海で死んでいく。「このままでは殺される」遂に自分たちの力でストライキを起こし“要求”を突き出した。しかし、待っていたのは味方と思っていた帝国海軍による弾圧と逮捕であった。だが、彼らは立ち上がった。もう一度。