水に半分浸かったような浅草の廃墟「神谷バー」で夕一(ゆういち)という男と名ばかりの結婚生活をするモモが腹話術師の朝顔と再会する。モモはどん詰まりの生活に疲れた朝顔が酔ったはずみで愛を語りかけたビニ本のモデル女だった…。
蜷川幸雄らと「現代人劇場」「櫻社」で活発な演劇運動をしてきた石橋蓮司が緑魔子ら7人の同志と共に旗揚げした劇団第七病棟の4作目(旗揚げ公演は『ハーメルンの鼠』(唐十郎作)、第2作『ふたりの女』(唐十郎作)、第3作『おとことおんなの午后』(山崎哲作))。1960年代から70年代にかけての「政治の季節」が終わりを告げた1980年、敗北感を抱えたまま過去の残像を追い求める若者の閉塞感を描いたもの。
「忘れてないぞ、どんなまばゆい思想だって…」「言ってくれ、どんなキラメキを僕がなくしたというのか…」と、人形という「民衆」に向かって演説する「朝顔」は時代に取り残された自分を自覚し、やがて錯乱する。モモは大衆に裸身をさらすビニール本(エロ本)のモデルであり、ビニールという薄皮の向こうで息苦しさを感じ、苦しんでいる「民衆」の象徴でもある。朝顔にとって「来るべき革命」で解放される民衆の象徴ともいえる。
ビニールに閉じ込められたモモとの不条理な幻想の愛=ビニール越しの愛が破られるがそれは、絶望的な愛の昇華となる。マジシャンがやるような大掛かりな水中脱出やモモが常盤座の虚空に浮上していくスペクタクルな演出も話題を呼び、雑誌『FOCUS』の企画「演劇評論家が選ぶ80年代演劇ベスト10」で第1位に選ばれるなど80年代演劇の最高傑作といわれる。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1941年生まれ。俳優・演出家。劇団現代人劇場、桜社を経て、女優・緑魔子と「第七病棟」を結成。旗揚げは唐十郎作、佐藤信演出「ハーメルンの鼠」(1976年)。