一書に曰く、闇に覆われた神代の時代。磐戸にひきこもった太陽神アマテラスの魂をうつつの世に引き戻したものは、俳優(ワザオギ)の元祖アメノウズメ。そのオカメな若い女神が、逆さ桶の上で即興で演じた、ハレンチかつステキなバカ踊りだった。これが日本の演劇のはじまり。そしてこのワザオギの子孫を、どういうわけか猿女(サルメ)と呼ぶ。サルメの血は、いつの時代も踊り続ける宿命を負う。今この時代にも。サルメは生きてい
愛する者を失った喪失感、それをいかにして埋めていくか?心にあいてしまった黒い闇の中に入り込み、それを直視していこうとする物語である。そしてその物語は、ある老婆の喪失感を埋めるための妄想でもある。双子の姉と弟が互いに夢見、夢見られる鏡の中のようなストーリーといっても良いかもしれない。実際の私と、私の弟の子供の頃の実体験を元に書いた作品である。 作・演出 渡辺えり
(フライヤーより)それは、地球の上から学校というものが姿を消してしまった時代。子供たちの教育は、すべてパソコンによって行われていた。レミは中学二年生。パパとママとオバアチャンの三人と暮らしている、ごく普通の女の子。そんなレミの家で、ある日、とんでもない事件が起こる。変わり者のオバアチャンが、街の古道具屋でアンドロイドを買ってきたのだ。それは、一〇〇年前に作られた、理科の先生。名前はケンジ1996。
(フライヤーより)「このままこいつと結婚するんだろうなぁ……」そんな風に、マンネリしていた田山と恋人たま子。2人を引き裂いたのは、たま子の突然の死だった。悲しむでもなく、結構楽しく日常生活を送る田山をこっそり見守るたま子。そんなたま子を、天国へ連れて行こうとあの手この手で説得する天使・巴。-「死んだ人間は無力なんです」「納得いかないんだよなぁ」-’89年に東京サンシャインボーイズが上演、今年7月に
1999年、ノストラダムスの大予言の年、日本では「世界の終わり」を疑似体験するシュミレーションゲームが流行るなど「最後の一日をどう過ごすのか」が一番の関心事となっていた。大手広告代理店では「ラストデイプロジェクト」と称し、「世界の終わり」を盛り上げるために、ベトナム難民の超能力者、ジョン・マイケル・パオという青年をカリスマとして祭り上げる。消費し続けることに飽きた人々は「悔い改めよ」というパオのメ
(フライヤーより)暑かった。わけもなく切なかった。うれしいのに涙が出た。夕立に打たれた。虹の下で笑った。いろんなことが駆け抜けたあの夏の雲の下に、おじいちゃんはいた。
水に半分浸かったような浅草の廃墟「神谷バー」で夕一(ゆういち)という男と名ばかりの結婚生活をするモモが腹話術師の朝顔と再会する。モモはどん詰まりの生活に疲れた朝顔が酔ったはずみで愛を語りかけたビニ本のモデル女だった…。 蜷川幸雄らと「現代人劇場」「櫻社」で活発な演劇運動をしてきた石橋蓮司が緑魔子ら7人の同志と共に旗揚げした劇団第七病棟の4作目(旗揚げ公演は『ハーメルンの鼠』(唐十郎作)、第2作『ふ
12人の俳優による妙ージカル(妙なミュージカル)。舞台奥に12基の墓石が一列に並んでいる。西洋の戦場跡に並ぶ、戦死した兵士の古い墓のよう。墓石には12人の俳優の名が、それぞれ刻まれている。雪が静かに、そして激しく降り続けている。その中で、小学生から老夫妻までの幅広い6組のカップルの模様が、歌と踊りを交えて展開される。2014年初演作の改訂再演。降り続ける雪、役者名が刻まれた墓、という印象的なビジュ
ポツドール vol.15
『愛の渦』(第50回岸田國士戯曲賞受賞)に続く、「渦」シリーズ第2弾。4つの部屋を同時進行で描くポツドール版ラブコメ。恋人のいない男女を引き合わせるパーティから始まり…。本音と嘘が何重にも交じり合った男女9人の恋愛の記録。
劇団「ラッパ屋」の第18回公演として青山円形劇場で初演された、喜劇作家・鈴木聡の代表作。一介の魚屋「八」が、赤穂浪士として討ち入りを果たすまでを描く。
劇団「ラッパ屋」第19回公演。戦前から戦中にかけての日本映画界の物語。無声映画からトーキーへ。痛快な活劇から戦意高揚の国策映画へ。時代の変遷に巻き込まれる映画人の悲喜こもごもを、大部屋俳優からスターへ駆け上がっていく主人公・紅三十郎を中心に描く。