復帰50年企画・共同制作
復帰50年企画・共同制作
「大戦の末期に戦場となり、尊い多くの人命を失った沖縄の地は、戦後長きにわたって米国の政権下に置かれてきたのでありますが、今日以降私たちは同相相寄って喜びと悲しみをともにわかちあうことができるのであります。」これは、沖縄復帰記念式典で当時の首相佐藤栄作が行った式辞だ。
タクシー運転手をしながらサトウキビ農家を営む波平誠二は、たまたま乗せた客をわが家へ招き、サトウキビの収穫を手伝ってもらうことにする。娘夫婦、孫娘は戸惑いを隠せない。人との距離、日本への復帰、家族であっても思いはバラバラで、伝えることもままならない。1972年、復帰を迎えようとする沖縄、波平家の物語。
1992年「国際児童・青少年演劇フェスティバルおきなわ」の企画調査、
1994年同フェスティバルを開催。2005年から毎年「国際児青少年演劇フェスティバルおきなわ」を主催。また創立以来沖縄発信のオリジナル作品を次々発表。海外劇団、アーティストとの国際共同制作作品多数、地元沖縄の芸能をとりいれた意欲的な作品づくりをおこっている。2013年、舞台創造部門を一般社団法人エーシーオー沖縄へ移行
沖縄戦では4人に1人が鉄の暴風の犠牲になった。4人に1人の悲劇に焦点をあてた作品は過去にたくさんあるが、わたしは、ほかの3人の生還のドラマに焦点をあててみたかった。洞窟は、まさにこの世の行き止まりであり、極限の生き地獄でもあったが、また一面では、生の再生へのエネルギーをたくわえた生命のシェルターでもあったのだ。(嶋 津与志)
わぁ、海の底がきれい!まっしろな砂、波のかたちがずっと残っている。あそこ、ほら、砂の上でエビがはねている。ほら、島の東(あがり)に山原船が浮かんでいる。ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ・・・美ら島やらやぁ!
「御上にたてつき、時代に毒づき、老いても子には従わん。私は私の道を行く」のさ。
復帰50年企画・共同制作
1972年、27年間アメリカ合衆国の施政権下に置かれた沖縄は、日本復帰を果たした。しかし平和憲法のもと、強制接収され基地となった先祖から受け継ぐ土地が帰ってくるという県民の願いは叶わなかった・・・。それから23年後の1995年。基地は沖縄にあり続け、米兵による犯罪は後を絶たないが日米地位協定に守られ、ほとんどの場合、日本の法律で罰する事が出来ない。元教師の石嶺和子は反戦地主であった父から受け継いだ