1999年、大野一雄は第1回ミケランジェロ・アントニオーニ賞を受賞。ベネツィア・ビエンナーレで「セレブレーション:大野一雄作品アンソロジー」として2日間の公演が行われ、1日目の終演後に舞台上でそのまま授賞式が行われた。大野一雄の代表作である「ラ・アルヘンチーナ頌」「わたしのお母さん」「死海」等から数曲を抜粋したアンソロジー公演である「セレブレーション」と、授賞式を収録。
1949年大野一雄現代舞踊第一回公演を機に設立され、1961年に横浜市保土ケ谷区に稽古場が建設された。以来、大野一雄、大野慶人の創作の場として数々の作品を生み出すと共に、公演、ワークショップ、出版などの事業主体となって活動の基盤を担ってきた。
舞踏家・大野一雄は2010年6月1日に103歳で亡くなった。その年、世界各地で追悼の集いが行われたが、2004年から毎年開かれていた「大野一雄フェスティバル」も11月から12月にかけて、「大野一雄の世界」を共有することを主眼に開催された。オープニング公演を含む三夜は「終わりのない舞踏会」として同フェスティバルのそれまでの参加者や公募参加者などによる短い作品を連続上演した。「O氏への旅 O氏からの旅
2006年4月パリ日本文化会館にて初演。60年代の舞踊の革新運動の最前線を疾走したふたりの同時代者、韓国舞踊のキム・メジャと日本の舞踏の大野慶人の共演作品。カーテンコールでは大野一雄が指人形で登場。大野一雄フェスティバル2007参加作品。
舞踏の最初の作品とされる「禁色」初演から50周年を記念して、大野一雄フェスティバル2009にて同作を徹底解剖した三日間の第一夜。モダンダンス時代の土方巽と共演した小原明子をブラジルから招き、「禁色」前夜の情景を探った。アフタートークあり。
高齢により大きな会場まで出向いての公演が難しくなりつつあった頃、大野一雄は横浜にある自宅に隣接する稽古場で舞踏の会を持つようになった。本映像はその第一回公演。大野一雄は92歳。稽古場に客席ひな壇を仮設し、各回60人程度の観客を対象にした。大野一雄の踊りを近くで見ることを目的に、2001年7月まで不定期に開催した。