西ドイツのインダストリアル・ノイズ音楽バンド、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのライブを描いた映画『半分人間』(1986年公開、石井聰亙監督)のために撮影された映像。大須賀の手元に保管されていたのは16mmポジで、本編では使われていない。撮影は渋谷の雑居ビルから始まり、この映像の舞台となった荒川のそばの屠殺場の匂いのする場所で夜を徹して行われた。舞踏手は金粉を塗っているが、普段白塗りでする動きを踊っている。この動きで松明を持つのは珍しい。
1980年に設立され、1994年の解散まで京都を拠点に活動した舞踏団。主宰は舞踏家・大須賀勇。独自のアジア的感性を通じて、芸術と芸能を串刺しにする「明るい暗黒」を表出させ、原初のエネルギー渦巻く舞台を展開した。テレビへの出演、ダンスビデオ作品の制作など、それまでの舞踏の枠を広げた活動も積極的に行い、夏には熊野の山奥で、第一線で活躍する様々なジャンルの講師を招いて舞踏体験合宿を開催した。代表作は「ひばりと寝ジャカ」。大須賀は1990年、京都府文化賞功労賞を受賞。
1985年6・7月、白虎社は五大陸巡り世界舞踏キャラバン隊第一弾として2tの荷物と共に2ヶ月のイスラエル・ヨーロッパツアーに出た。イスラエル、西ドイツ、スイス、イタリア、ベルギー、フランスと周り、「ひばりと寝ジャカ」を27回上演、約20,000人の観客を動員した。本映像はそのツアー記録。公演映像の一部の他、リハーサルや楽屋の風景、各地の街に繰り出して計36カ所で行った路上デモンストレーションの様子
詩人の白石かずこの「ポエトリー・レストラン・シアター」に白虎社の舞踏手が出演し、白石の朗読と井上敬三によるサックス演奏とで踊った。白石はジャズの演奏家だけでなく舞踏家とのコラボレーションも多く、白虎社の夏期合宿にも顔を出していた。約3週間後に京都KBSホールでの「ミナカタクマグスのようなテレビジョン」上演を控えていたこともあり、蛭田早苗のソロや男性舞踏手の石を打つ踊りの動きなどは同作品でも見られる
出前芸術体 ーアートボデックー
1992年、神楽坂に「大人向けのディスコ」をコンセプトに開店した「神楽坂TwinStar(ツインスター)」。そのオープニング記念スペシャル・ライブに白虎社が「出前芸術体」として登場、花魁ショーや金粉ショー等を繰り広げた。白虎社が公演活動と並行して行っていた「出前芸術体」は、結婚式から一般家庭の誕生日パーティ、コンサートやCM出演まで場を選ばず、「舞踏」のイメージにとらわれない「よりスリリングな見世
「キメラ」、「漂流教室」、「光の王国」のダンスビデオ作品三部作。白虎社は1987年9月にメルボルンのフェスティバルに参加、公演終了後にアボリジニーの聖地と言われる赤い砂漠等で撮影した。1987年東京国際ビデオビエンナーレにてグランプリ・ファンドを受賞。
