時代は笑って許せるか?その集団は何度も何度も人々を怒らせた。彼らを怒る人々はせいぜい遠隔的にいやがらせを行うくらいで決してその集団の目の前には現れなかった。怒られた実感のない集団は、自分たちの過ちを忘れまた再び人々を怒らせるようなことをする。怒る人々はますます怒るがその集団を社会から抹殺することはできない。なぜならばその集団には驚くべき愛らしさがあったからだった。━━━第66回岸田國士戯曲賞受賞作
2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪
「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。第66回岸田國士戯曲賞受賞作、新演出で堂々の再演。
文化祭の前日は繰り返されなくて、ぼくたちは片隅の踊り場、変わり映えのない一日を見送ってた。増えていく過去形と消えていく可能性の間で右往左往する姿はまるでダンスみたいだねって言ってくれたことを忘れるわけない。ここは居心地がいいけど、文化祭はとっくに終わったしお腹も空いたし、もう行く。
海岸沿いに透明な壁が建てられた。その壁を通して眺める海は、いくつもの過去が折り重なってみえるらしい。 たくさんの人たちが壁のもとに集まってくる。目の見えない綱渡り師、透明人間の恋人を探す女性、窓ガラス清掃をする元役者、スノードームをつくる 観光客、ミノタウロスとくだんのあいだに生まれた未来のみえないこども。「私、フチになりたいんだ。麦わら帽子のフチとか、ルパンが盗む絵画の額縁とか、コップのフチ子と
向井川淋しいが、初めて演劇をやったのは小学校4年生のころだったのね。っていっても、あたしはこのころまだ淋しいと出会ってないから、本当にそうだったかは知らないんだけど……。あたしが淋しいと出会うのは、もう少し先の未来。つまり、いまから話すのは、淋しいにあとから聞いたことと、あたしのこうだったらいいなって願望がミックスされた物語。だから、正確には『向井川淋しいが、初めて演劇をやったのは小学校4年生のこ
時はとあるアイドルグループの解散が発表された2016年。泡之介とBBQは、学生時代の友人・午前二時の結婚式に向かうため、車で常磐自動車道を下っていく。目的地は仙台。10年前に同じく仙台を目指して3人で旅をした4日間を、10分の演劇にして余興で披露する予定だ。東京から守谷サービスエリア、会津若松、いわき、松島、石巻を巡る2016年の2人の旅路は2006年の3人の旅路と重なり、行ったり来たりを繰り返す
いつ高シリーズ
本作は「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」が舞台の連作群像劇です。教室、下駄箱、屋上、図書室、学内のあらゆる場所で「まなざし」をテーマに様々な物語を発表します。俳優はシリーズを通して同じ登場人物を演じ、作品ごとに主人公が代わります。学内で起こる小さな事件の”ここ”と”あそこ”がまなざしで繋がれてゆき、シリーズ全体で大きな物語となっていく様をぜひお楽しみください。
いつ高シリーズ
高校を舞台にした青春群像劇本作は「いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校」が舞台の連作群像劇です。教室、下駄箱、屋上、図書室、学内のあらゆる場所で「まなざし」をテーマに様々な物語を発表します。俳優はシリーズを通して同じ登場人物を演じ、作品ごとに主人公が代わります。学内で起こる小さな事件の”ここ”と”あそこ”がまなざしで繋がれてゆき、シリーズ全体で大きな物語となっていく様をぜひお楽
いつ高シリーズvol.7
この雪が止むまで、図書室にいよう。テーブルを本でいっぱいにして、つまみ食いみたいにちょっとずつページをめくりながら過ごそう。朝についての印象的な書き出しからはじまる女子高生の話、気だるそうな主人公が日常のちょっとした謎を解いていくミステリー、異世界に転生したら全部うまくいくファンタジー。お気に入りのセンテンスを拾い集めながら代わる代わる本を読んで いく。そのうちウトウトしはじめて、気づいたら睡眠。