いい仕事をすれば、出世したり評判が広まったりして、更に大きな仕事を任される。この言葉は、きっと、そんな感じのことを意味しているのだと思います。だったら、フリーターにとっての報酬は・・・?通販のコールセンターを舞台に、出世も昇進も関係無いフリーターの視点を通し、「人は何のために働くのか」を問う、仕事にまつわる群像劇。
高村光太郎と智恵子の生活を素材に、変わりえぬ日常を縦軸に、文学者の戦争協力の問題を横軸に、詩人の守ろうとしたものを独特の作劇で淡々と描く・・・。平田オリザ90年代初期の名作、10年ぶり、三回目の再演。
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。1991年初演の名作を、青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演として9年ぶりに再演。
東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。遅々として進まない工事。工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。
近未来の架空の戦時下、南方の島に囚われた日本人兵士たち。舞台上では、時代も、敵も、特定されてはいない。戦争はいつ終わるとも知れず、捕虜たちは、日本に帰国する希望も持てない。祖国は荒廃し、帰国しても、そこに幸せが待っているとは、到底考えられない。一方、南の島での生活は、何不自由なく、時間はゆっくりと、怠惰に過ぎていく。何もすることのない、生き続けることに何の目的も見いだせない捕虜たちの、おそろしいほ
202×年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話。
ソビエト軍のアフガニスタン侵攻、イランの学生による米国大使館占拠事件、韓国光州事件、すべてはここから始まった・・・。1980年初夏、イスタンブール、激動の世界史のただ中で、漫然と旅を続ける日本の若者たち。1996年初演時に、大反響を呼んだ平田オリザ唯一の自伝的作品。
日本を逃げ出す富裕層の倦怠と衰退を描く問題作に“無隣館”の一期生が挑む。彼らの挑戦は希望の船出となるのだろうか。近未来、南へと向かう豪華客船に乗り合わせた日本人。それぞれの想いを胸に、船はゆっくりと進んで行く。はたして、彼らは、なぜ南を目指すのか、南には、何があるのか。
202X年、架空の青年海外協力隊第四訓練所。この年、日本政府の財政は破綻寸前となり、全ての海外援助活動の停止が決定される。最後の派遣隊員となる青年たちの訓練所生活の、その寂しく切ない悲喜劇を通して、人間が人間を助けることの可能性と本質を探る青春群像劇。平田オリザが桜美林大学演劇コースの卒業公演のために書き下ろし、大好評を博した本作を、青年団本公演として8年ぶりに上演。
2017年。関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。長女は、知的障がい者である。親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。そこに、長女と結婚したいという男が現れる。
関東圏郊外。三人姉妹が住む一軒家。長女は、知的障がい者である。親はもうなく、主に三女が家を仕切っている。次女が結婚し、夫と建てた新居への引っ越し日。引っ越し業者とともに作業をする姉妹たち。そこに、長女と結婚したいという男が現れる。
仕事場、私生活。ちっとも上手くいかない。私は他の人と何かが違う。病院で検査を受けたら、ただの性格の問題と診断された。僕は/私はどうやら『普通』らしい。ここからどこに向かえばいいのか。発達障害グレーゾーンをテーマに描く、青年団リンク やしゃご第4回公演。
ある汚いシェアハウスに、日本人と中国人とベトナム人が住んでいました。皆は貧乏ながらに割と楽しく暮らしていましたが、ひとりひとり、悩みを持っていました。ある日、技能実習生のベトナム人が、一通の手紙を残して失踪してしまいました。そこには、ギリ判別できる文字で「ごめんなさい」と書いてありました。2020年、日本の夏の話。
茨城県M市。納豆と梅くらいしか誇れるものがない『そこ』に住む男と女。女は心臓の病を抱えており、出産は禁忌だが、子を宿してしまう。その、十月十日と、5年後のお話し。