オムニバスのコント公演をもっと矢継ぎ早にもっとシームレスにつなぐことで「コント」ではなく「出し物」とした公演。2023年現在の諸問題をナンセンスコメディの手法で見せていく。
「本物とニセモノの間に見世物がある」を掲げるオムニバスコント集。本人たちが本人のまま謎の暴れ草刈り機に巻き込まれるなど、演劇における本人性の効果や、ユーモアにおける場合など演じることそのものがさまざまなコントから浮かび上がる。
変な人がやってきては帰っていくコントが多いことから、新喜劇システムを取り入れた本作。「ちょっと良いことを人にする」母親ゆずりのモットーで生きる親切な寿司屋八木光太郎は立ち退きを迫られていた。再開発問題にゆれ、存続をあきらめた日の出商店街の面々をよそに、八木は一発逆転の秘策を迷惑メールフォルダの中に見出す。そして奇跡が起こるその前に、7Aちゃん家の暴れ草刈り機が人を轢き始めた…!
認知科学の分野ではユーモアとはエラー発見の報酬としての喜びであるとされる。ボーナスだと言われてナスを渡された人が喜ぶ。「どうして私達はエラーを発見して喜んでいるのか」をぬいぐるみのユモ氏が語りその実例として40演目近いショートコントが行われる。レクチャーパフォーマンスとしてのコント公演であり、明日のアーの10年に及ぶユーモアの探求によってこれまでわかったことを伝える集大成的作品。
1分にも満たない短いコントをつなげていくスタイルになった明日のアーがコロナ禍で失われた「集団のノリ」をテーマに作成したオムニバスコント集。世の中はようやく飲み会が解禁され、おそるおそる社会が復調しはじめるその緊張感と身体性と群れとして暮らすヒトの生活について。暴れ草刈り機というその後の明日のアーにおいて不幸と暴力性の象徴となるものが初めて登場する。
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
1700人以上の応募者から、野田秀樹がオーディションで選んだ「東京演劇道場」のメンバーらが初見参!演じるは、「赤鬼」。移民、国境、社会の分断…今の社会が抱える問題をいち早く描き、1996年の初演以降、日本、イギリス、タイ、韓国で野田が各国の俳優と共に作り上げてきたマスターピースを野田自身の演出により16年ぶりに日本で上演する!
土地に伝わる民俗芸能のように、自身が暮らす都市から生まれる芸能をつくる試みとして始動したシリーズ作品第一弾。
岩井秀人の父の死を扱ったドキュメンタリーテイストな作品。岩井の作劇のモチーフともなり続けた「憎むべき対象」である父が癌で死に、岩井は混乱し、父に付き添っていた母は医療体制を疑う。父の死因と、父が生涯をかけた外科医療について取材していくうち、『父はなぜ、どのように死んだのか?』『母はなぜ、父と結婚をし、父の家族に対する暴力を見ながらも離婚をしなかったのか?』『その「父の死」を妻と子供たちはどのように
⾔語学者の⾳埜淳(おとのじゅん)と息⼦・⼤介の⼆⼈が住む家に、淳の弟・丹波准(たんばじゅん)が押しかけて 3 ⼈の同居⽣活が始まる。なんだか噛み合わない⽇々の中で、時折漂う不穏な空気。そこに⾳埜淳の義弟・楠⽊塁(くすのきるい)が来訪してくる。なぜか横並びに4つ並んだリビングの椅⼦たち。少し窮屈そうにしながらもそれを受け⼊れ座る 4 ⼈。季節はボンヤリと過ぎていく……。2015年初演の同作を、キャス
2002年の初演で世界に衝撃を与えたNibroll『コーヒー』を16年ぶりに横浜ダンスコレクション2018のオープニング・プログラムとして再演。映像作家・吉開菜央が、再創作の過程、オーディションで選ばれたダンサーや関係者へのインタビュー、公演本番などをドキュメンタリーとして映画化した作品を公開。[作品ノート]人が社会と無縁ではいられないように、この作品も また当時の社会や時代背景の影響を強く受けて
