Dance New Air 2016
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合してできあがる。大プロジェクトだ。
皮膚と皮膚を触れ合わせる身体性とともに、家族同士をつなぐもうひとつの生命線は、言葉だ。でも身体に比べてとてもやっかいな道具で、私はこれを扱いあぐねている。だから遊び道具として捉える。もちろん作品での話だが。
言葉は、モノやコトを特定するものとして機能するが、その場合つまり代用物でしかない。オリジナルのモノやコトがなければ言葉は存在しえない。でも私は、言葉が単なる代役ではなく、より純粋な「音」に近いものとして現れる瞬間を捉えたいと思っている。稽古場で、言葉がもともとの意味を脱ぎ捨ててパズルのピースのように断片的に浮遊するような状態にあるとき、私は美しいと感じる。遊び道具としての言葉が、意味という暑苦しさから開放されて自由に飛び回るさまは、まるでホタルの光が闇に浮かび軌跡を描くように美しい。
そこには身体の存在が不可欠だ。身体が楽器となって音楽を奏でるように言葉を発すると、言葉がひとり歩きしてどんどん光を放ち、他の身体や言葉と結びついて予想もしなかったようなイメージが立ち上がる。
この作品に登場するのは5人の演者だが、それぞれが家族の一員としての役割を明確に負っているわけではなく、あくまでゲームのプレーヤーのような存在である。中には家族なのか何なのか分からない存在も登場する。家族という現象を、言葉という擦りガラスを通して透かし見るようにご鑑賞いただければと思う。
伊藤キム
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
2年に1度、東京・青山で開催しているダンスフェスティバル 。劇場でのダンスパフォーマンスの他にも、ダンスフィルムの上映、ブックフェア、屋外パフォーマンス、ダンスショウケースなど、ダンスとの出会いを多面的に提案している。
Dance New Air 2020 プレ公演サイトスペシフィックシリーズvol.3
二重の国を持ち、二重の育てられ方をした私にとって安住の場所はどこだったのか。 私の愛情はどこへ向ければよいのか。私の身元はどこなのか。日本かアメリカの一方なのか、両方なのか。 それとも世界に私は属しているのだろうか。(イサム・ノグチ) 自身の生い立ちに起因する不確かな帰属意識に苦しみ、その救いを創作に求め続けた彫刻家、イサム・ノグチ。彼が建築家の谷口吉郎と共に手 がけた本会場「旧ノグチ・ルーム」は
Dance New Air 2018
青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
Dance New Air 2018
Dance New Air 2018のプログラムの一つで、青山通り沿いのスペース「ショウケース」を舞台に開催。新たな時代を牽引していく30歳以下の若き振付家・ダンサーたちを同世代の田村興一郎がキュレーション。10年後のコンテンポラリーダンスシーンを彼らの身体を通して体感できる注目のプログラム。
Dance New Air 2014
迷い蝶というものがある。台風で予期せぬ場所に飛ばされ、海 を渡っても、その同一性を作り替えて生き続ける蝶のことだ。こ の共同制作もまた、たくさんの問いに導かれ海を渡り、相手の 中に自分を探す旅路を続けながら他者との新たな関わり方を 発見する。 “Suwung”とは、“目には見えないが、何かがそこに存在する ことを感じる”、という感覚を表すジャワ語である“。空”の中に存 在を感じ、現実と虚構を合理的