1986年1月に世を去った土方巽の野辺おくり祭として、山形県の升玉村で開催されたイベント『土方巽野辺おくり祭「むしびらき」-東北舞踏ぶるまい升玉編ー』。プログラムによれば、50人近い舞踏家が参加し、主に10カ所の舞台を中心に村全体を会場に繰り広げられた。梅雨明けの縁側一杯に衣裳を広げる蟲干し、それを土方巽は「蟲開き」と呼んでいた。映像では元藤燁子、小林嵯峨、大野一雄等が踊り、フィナーレには多くの舞
風に色があるか否かは知らないがうつろう風のなかには、確かにそれぞれの景色が棲んでいる。風の景色を見た時から人は踊りを知る。しあわせなことに景色を見たのが、少年の頃であれば、少年は必ずダンサーになる。だが不幸なことに、知らなければ何事もなく終わってしまったであろう人生のなかばで風の景色を知ってしまった人は哀しい。
2008年5月に死去した五井輝の遺作。白い石をいくつもいくつも荷車に積み曳いてゆく姿が印象を残した。チラシには、「Don't cry boy- Last round」とある。
舞人として踊った五井輝が、前年の86年1月に死去した土方巽を追悼した公演。土方を思い出させる赤いスカートなどの衣装や音、音楽が随所に使われた。唇にはルージュを塗りたくり、背中一面に刻まれた風神雷神の入墨を見せ、剣山を自らの肉体に刺す。すべてをさらけ出して極度の集中をもって踊る五井に、「さながら土方の魂が降りたかのようだった」とThe Japan Times Weeklyのレビュー記事(1987年9
Don't cry boy
村々を繋ぐ、ひくく小さな山の連なり北厳の四季に、悲哀を満たして石狩の水が流れていた。―チラシより五井輝の生まれ育った家からは、石狩川を挟んで向こうに音江山が見えた。標高730mの平べったい山は、沖里河山・無名山と共に音江連山として地元では親しまれている。
テレビ山梨開局20周年記念番組「旅へ…微笑仏になった男~木喰上人二万キロの足跡を辿って」。江戸末期に北海道から九州まで旅を続けながら、後に「微笑仏」と呼ばれる、ほほえみをたたえた仏像を彫り残して93歳でその消息を断った木喰上人の足跡を辿る。主演は北海道出身の舞踏家、五井輝。
1985年に開催されたButoh Festival '85にて上演された。プログラムの五井輝の言葉には次のようにある。 「夢うつ太鼓の雄叫びに / 肉は舞えども 心は踊らず / 陽光と陰影の 狭間で揺れる肉体は / 現し世の陽炎 / 形骸と化した肉体は / 醒めた欲望を蜂起する あらかじめ失われた夢から / 解き放された肉体は / 吹き晒しの孤舞となる」 「小懺悔」というタイトルには、肉体を土壌に
東京放送(現・TBSテレビ)のローカルニュース番組「テレポートTBS6」でButoh Festival '85の開催を機に「舞踏」を紹介する。土方巽、市川雅、麿赤児、五井輝、田中泯のコメントの他、大駱駝艦や舞塾のリハーサル風景、大野一雄を振り付ける土方巽の舞台稽古などを収録。当時の「舞踏」の一端を知ることができる。