音楽はマリア・カラスとバッハのアレンジのみで構成。「肉体の絶対的なコントロール、その信じ難い力と同時に肉体の極限的な脆さをも示す」(フェスティバルアートディレクター・ペーター・ビュ / フィガロ紙1997/8/7)、「数光年分のステレオタイプを持つ女性像、それをすみずみまで探索する。誰もがそこに居合わせる。驚くべき方法で全身を変貌させながら心の状態を語る」(デュ・テアートル1997/秋号 NO.1
フランスでのカトリーヌ・ディヴェレスとの3年間の作業を経て日本に戻ってから最初の舞踏ソロ作品。「動きの巾ではなく気配の落差」、「抑圧した動き」で劇場の空間をつかみ、「彼女に於いて愛(エロス)は完結する」(佐藤正敏/テレプシコール通信)と評されるほど、観客を魅了した。
「公演時間の大半を直角に交わる二面の黒壁に沿って右から左への移動に費やされた」という本作は、「静中の動」、「内に圧縮されて解放を求めるエネルギーの迫力を醸しだし、さも鳥が天上に羽ばたきたくとも羽ばたけずに果てるかのような」姿を見る者に連想させた(吉沢伝三郎 / 「現代思想」)。「幻想とは、何よりもまず不安を意味し、破壊を意味する」というロジェ・カイヨワの言葉が、「鳥」という作品にひとつの生命を与え
(フライヤーより)猛スピードで時代を駆け続けるダンスから見れば、時代は星虹(スターボー)なのだろうか?はじきだされた饒舌はやがて暗黒の磁場へと旋回し重力を失う。時代がダンスを要求しているのではなくて、ダンスが時代に別れを告げるとき、壮絶なダンスのパレードも旋回し始める。1966年早春のダンスコレクション 饒舌と静謐 旋回と浮遊 記憶と忘我 光と演奏 いま東京ダンスコレクション されど東京ダンスコレ
『K――カフカと恋人たち』は、阿部日奈子の詩集『典雅ないきどおり』に収められた作品「K」を基盤としながら、カフカの小説、日記や書簡の断片を自由にコラージュする形で構成され、カフカと恋人たちの不思議な愛の「かたち」、男女の権力関係が探られた。舞台世界の表出は、物語や文学の再現ではなく、強度のある〈声〉や身体表現が駆使され、現代詩、舞踏、現代演劇、現代美術の思い切ったコラボレーションとして行われた。
新しい演劇言語の可能性を切り拓くため、詩人の高柳誠にテキストを依頼した。高柳のテキストは、夢幻能『融』の世界を踏まえながら、舞台を日本の平安期からヨーロッパに転じ、ギリシャ悲劇『エレクトラ』や狂王ルードヴィヒ、マグダラのマリア、さらには米同時テロ以後の、われわれの現代の廃墟の記憶などが重層的に交錯するものであり、報復=正義の意味、復讐の連鎖をどのように対象化し、捉え直すことが出来るのかが問われた。
