────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
源平合戦後も平家残党が生き延びていたという設定のもと、平家武将たちと源 義経の“その後”を描いた「義経千本桜」は全五段の傑作長編。その二段目「渡海屋・大物浦の場」は、海に身を投げて自害したはずの平知盛が、船宿の主人となり義経に復讐を企てる物語です。変わりゆく時代の中、変わらぬ信念で戦った知盛の姿は、今どんな相貌をもって現れるのか。平成から令和の改元、疫病による日常の変化を受けての2021年版を演出
東のはずれに、ある島があった。街には多くの人が溢れ、人々は行列になって進んでいく。行列の先には真っ赤に燃える炎があった――――。五輪の聖火、命の灯、誹謗の炎上、祈りの煙。社会を焼き尽くす数多の炎を、芥川龍之介の「アグニの神」をモチーフに描く。世界劇団が全人類に捧げる人間賛歌。身体と言葉を燃やし、炎の創成記を紡ぎ出す
2008年の結成から日本の現代サーカス界を牽引してきたカンパニー・ながめくらしつ2016年上演作品。カンパニー主宰のジャグラー・目黒陽介が演出を務め、比類なきチェロ奏者・坂本弘道とゲストミュージシャンによる生演奏、美術家・カミイケタクヤの作品によって重層的に支えられた舞台空間で、高い技術を持つ9名の演者がジャグリング、エアリアル、ダンス、アクロバットほか多様な身体表現を以て、独創的でサイトスペシフ
おそらくは誰もが子どもの頃、一度は遊んだことがあるシーソー。その語源はsee「見る、反復する」+saw「のこぎり、前後に動かす」らしいですが、この"see"と"saw"という現在と過去の単語がひとつになったこの言葉からは、さまざまな記憶のイメージが浮かんできます。ギッタン、バッコンと上になったり、下になったりを繰り返しながら、それぞれの高さで、僕らはそこからなにを見ていたのでしょうか?そしてそのと
「リアルリアリティ」身体を省略し拡張する人はできるだけ動かなくてすむようにテクノロジーを駆使するそれに抗うつもりはない 楽がいいそれでもどこまで省略しようとするのか ふと不安になる人々の想像は 遥か彼方にある場所や 過去や未来にある時間をあたかも今ここにあるかのように具現化しようとするそれでも人は遠くでおこっている悲劇を想像することすらできないそこにある身体を共有することができないなにもない場所に
夜、劇場にしのびこんだ不良カップルが眠りにつくと…亡霊たちの時間が始まる。劇場に満ちる愛の亡霊たちの秘めやかな足跡―初演時、身体的負荷の高いパフォーマンスと、密度の高い演出で評判を呼んだFUKAIPRODUCE羽衣の代表作の再演。いじましい現代人の愛の示し方を高らかに歌いあげる“妙―ジカル”。