人間が生きていく中で無垢とはどういうことなのか、という問いかけをテーマに、舞踏家大野一雄氏、大野慶人氏による原作「睡蓮」から受けた衝撃を基に、同作品を再構築した。踊りとは何か、踊りの持つ力を追求し、時代を超えた身体表現の可能性を問いかける舞台作品。
集団と、集団の言葉と、言葉の意味の侵入を基礎とする新しい舞台。大きな集団に生まれる小さな集団たちが、言葉の意味の侵入を自覚的と無自覚的に行ない合いながら膨張し、飽和し、収縮し、最後に残るべきものことの何かが残る。または何も残らない。という群像になる。
────あーー! 何回死ねばいいの? もし、死んじゃっても、必ずわたしのいるところに、来て────何度も殺されるフフと、何度も助けるミチコのふたりは小さなループを作り、生活していた。ある日、そんなふたりのルームに映画を撮りたい男たちがやってきたことでループは歪む。撮影が開始されたルーム内で、生きているひと、死んでも死なないひと、もう死んだひとらがガチガチにぶつかりあい
2019年より継続して協業を重ねる劇作家・松原俊太郎と、二人組の舞台作家・小野彩加 中澤陽 スペースノットブランクが、2020年12月にロームシアター京都 ノースホールで上演した『光の中のアリス』を、装いを新たに2024年11月のシアタートラムで上演する。出演者として、荒木知佳と古賀友樹が2020年に引き続き続投、小野彩加と中澤陽が演出と兼務、そして伊東沙保と東出昌大が新たに加わる。「登場人物はは
ノイマルクト劇場+市原佐都子/Q
人間の生と性に関わる違和感を、大胆かつ緻密に描く市原佐都子。新世代の劇作家・演出家である彼女と、スイス・チューリヒのノイマルクト劇場の共同制作作品が豊岡に。西洋/男性からの視点で日本/女性を描いたプッチーニのオペラ『蝶々夫人』を原案に、その構造を反転させ、日本/女性からの視点で西洋/男性を描き、人種やジェンダーに対する先入観を痛烈に問い直す。
旧人類は500万年間進化しなかった。そこに現人類が現れ、他種の殺戮をはじめた。手や知識が「力」となり、創意工夫が文明を発展させていく。やがてヒトは全能な力を崇拝する共同体となり、同じ力(神)を信じない者への弾圧は残虐を極めた。そこで、他者との共存を図るため「寛容」という概念が生まれる。共同体はしだいに国家となり、暴力を独占していく。武器は、鈍器なものから鋭利なものへ発達し、弾丸となりやがて情報とな
今作は過去編と未来編の連作である。過去編は〈日差し〉の視点から〈森〉との婉曲しながらもシンプルな関係が描かれる。物語は二人の別れから始まり、その末、日差しは見たことはあるけどいつもと違う、過去とも未来ともつかない空間に漂着する。未来編では日差しと森の娘である〈春望〉が主人公となり〈陽子ひいばあちゃん〉を探す旅に出る。またインタールードとして現われる〈せかい〉の存在が作品世界全体を複雑に揺り動かす。
1980年代に設立されたマレーシアのファイブ・アーツ・センターは、アクティビストやプロデューサーが主体的に参加する活動体として、彼の地のアートシーンにおいて強い存在感を放っている。本作『Baling(バリン)』の演出を務めるマーク・テは、そのファイブ・アーツ・センターの一員であり、演出家、キュレーター、研究者と多くの顔を持つ。本作で取り上げる「バリン会談」とは、1955年、現政権(マラヤ連邦)とマ