歴史はくりかえす。物語はよみがえる。お布団のマスターピース、再上演。古代ギリシアでソポクレスが書いたアンティゴネと、それを改作したブレヒトのアンティゴネ。ふたつを元に想像された、新たな物語。死体をゾンビ兵士として再利用する技術が確立された遠い未来。戦火の街で暮らす二人の姉妹が直面する運命とは――。向こう側(フィクション)の戦争が、わたしたちの今を照らし出す。
新たな技術は新たな法を生み、新たな法は新たな犯罪を生む――。OEN(オリンポス経済ネットワーク)と呼ばれる未来の社会共同体。ある日、派遣社員である「私」は、ニュースの中に自らが働く医療施設の名前を見つける。それはある収容者の死亡事故だった。だが、事件の姿は調べるうちに変貌し、過去へ遡る物語は次第に全く別の様相を見せてゆく…。生=労働=尊厳=価値? 現代社会を生きる私たちの等しさを巡るブラックユーモ
源平合戦後も平家残党が生き延びていたという設定のもと、平家武将たちと源 義経の“その後”を描いた「義経千本桜」は全五段の傑作長編。その二段目「渡海屋・大物浦の場」は、海に身を投げて自害したはずの平知盛が、船宿の主人となり義経に復讐を企てる物語です。変わりゆく時代の中、変わらぬ信念で戦った知盛の姿は、今どんな相貌をもって現れるのか。平成から令和の改元、疫病による日常の変化を受けての2021年版を演出
高原のサナトリウムで静養する人、働く人、面会に訪れる人…。静かな日常のさりげない会話の中にも、死は確実に存在する。平田オリザが新たに見つめ直す「生と死」。1991年初演の名作を、青年団若手公演+こまばアゴラ演劇学校“無隣館”修了公演として9年ぶりに再演。
東京都内某所の雨が続く工事現場に、折り悪く遺跡が発見される。遅々として進まない工事。工事現場の人々、発掘の学生達、ゼネコン社員や文化庁の職員など、様々な人間達がだらだらと集まる飯場に、ユーモラスな会話が、いつ果てるともなく繰り広げられる。青年団史上、もっともくだらない人情喜劇。
1909年、夏。日本による韓国の完全植民地化、いわゆる「日韓併合」を翌年に控えたソウル(当時の呼び名は漢城)で文房具店を経営する篠崎家の一日が淡々と描かれる。押し寄せる植民地支配の緊張とは一見無関係な時間が流れていく中で、運命を甘受する「悪意なき市民たちの罪」が浮き彫りにされていく。初演以来22年、国内外で上演を繰り返し、2006年アヴィニヨンをも震撼させた平田オリザ初期の伝説的作品、待望の再上演
202×年、ヨーロッパの大戦で死亡した天才科学者の脳だけが生きのこる。その脳の受け入れを巡って延々と交わされる先端科学の議論と膨大な無駄話。
2015年度に開館10周年を迎える吉祥寺シアター。また、吉祥寺シアターのこけら落とし公演をきっかけに始まった「ミクニヤナイハラプロジェクト」も同じく 10周年を迎えます。両者の10周年記念公演として。超高速な発話と激しい動き、デフォルメされたキャラクターが特徴である「ミクニヤナイハラプロジェクト」が、全く逆の「静かな演劇」と評される平田オリザの名作『東京ノート』にどのように挑むのか。2015 年の
20代後半を迎える朝美、かのこ、ゆず、美緒は元高校演劇部であったことを共通点に、友人関係にある。ある日、顧問の先生の訃報と残された草稿が発見される。「わたしはことばそれ自体になりたかった」「欲望は見えなくされているだけだ」と書かれたそれは、完成された物語ではなく、未完成の言葉の集合体だった。4人は残された言葉を「聞く」ことからはじめようとする。
あらすじいなくなった親友にそっくりのヒサダさんに出会うカップル。夫がいなくなり、姪と暮らしている女、近所に住むおばさん。日常がちょっと変に歪んでいく、ふたりの遠出。遠くに行きたいけど、行けない。今いる場所に、かつていた場所が重なっていく。これは都市生活者冒険譚である。
第1回 人間座「田畑実」戯曲賞 受賞作品。秋から冬にかけて。豊かな緑色の町並みから、冬の白色に変わるまで。渋滞のテールランプの赤い灯りの線が、いつもそこに寄り添う。朝日ヶ丘は群馬県郊外に位置し、街全体が盆地にすっぽり収まっている。13年前に新しい高速道路が敷かれ、街の中央に大きなサービスエリアが置かれた。そこは次第に発達し、今では町の主産業になっている。朝日ヶ丘自体には、高速道路の入り口は存在しな
