芸術は、いったい誰のもの?
芸術とは、劇場とは?
宮城聰が初めて挑む、骨太の社会派作品!
原作は、1936年に書かれたクラウス・マンの小説『メフィスト』。当時、ドイツ最高の俳優と謳われ、国立劇場の芸術監督でもあった実在の人物グリュントゲンスをモデルとし、発禁状態にまでなった小説は、80年代にはフランスの太陽劇団により舞台化され、ハンガリーのサボー監督による映画でも知られる。時代に翻弄される天才俳優の姿を通し、「劇場とは、芸術とは何か?」を問いかける社会派作品に、気鋭の劇作家トム・ラノワはさらに自由かつ大胆な翻案を試み、劇中劇として古今の有名戯曲の名場面を織り交ぜ構成した。挑戦を続ける宮城聰がSPACの強靭な俳優陣と共に、問題作を日本初演!
名戯曲・名台詞が次々に!
演劇好きにはたまらない名作のミルフィーユ?
愛した男が「悪魔」となる姿に絶望するグレートヒェンの嘆き(ゲーテ『ファウスト』)、陥落したトロイアに捧げるヘカベの祈りの言葉(エウリピデス『へカベ』)等々、古今の傑作戯曲の名場面が、稽古シーンの中で繰り広げられ、時流のなかで翻弄される登場人物たちの心情が、劇中劇の台詞を通じて浮き彫りになってゆく。ナチスの宣伝大臣を彷彿とさせる『リチャード三世』の独白(シェイクスピア)、その歴史的な演説にトリゴーリンとニーナの会話(チェーホフ『かもめ』)が重ね合わされる妙…。宮城演出の新境地を示す本作は、まさに演劇を愛するすべての人々に捧げられた舞台と言えよう。
あらすじ
時は1932年、ドイツ・ベルリンの国立劇場で『ハムレット』の稽古が行われている。そこへ総選挙でナチスが第一党になったとの報せが入り、動揺する劇団員たち。スター女優のレベッカは身の危険を感じ、国外へ逃亡する。残った演出家のクルトはかつてメフィスト役で大当たりした名優。彼のもとに「新体制で文化大臣になる」という男が現れ、左翼活動家ヴィクターに代わり、新しく劇場の芸術監督になるよう誘う。劇場を、芸術を守るためと信じて、その申し出を受けたクルトだったが、次第に時代の波に飲み込まれていく…。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
専用の劇場や稽古場を拠点として、俳優、舞台技術・制作スタッフが活動を行う日本で初めての公立文化事業集団。舞台芸術作品の創造・上演とともに、優れた舞台芸術の紹介や舞台芸術家の育成を目的とする。2007年に宮城聰が2代目芸術総監督に就任以来、より多彩な舞台芸術作品の創造や国際演劇祭の開催とともに、教育機関としての公共劇場のあり方を重視し、中高生鑑賞事業公演や人材育成、アウトリーチ活動などを展開。
「源氏物語」末摘花・蓬生の巻よもとに描かれる女たちの夢と欲望。窮乏に耐えられず次々と屋敷を逃げ出す女官たちとそのなかでひたすら光源氏を待つ末摘花の姫。原田一樹演出による『しんしゃく源氏物語』は、待つ女として集約される末摘花のイメージを、彼女を取り巻く女達の複数の幻影のなかに解き放つことによって、他者=光源氏と豊かに出会うための〈女性性〉へと変換しようというものである。野外演劇という森のなかの空間を
宮沢賢治作品 初演出となる演出家・宮城聰と、初の演劇台本に挑む小説家・山崎ナオコーラによる、異色のコラボレーションが実現。等身大の人形を駆使し、変幻自在の劇世界を追求した作品。詩人、童話作家として有名な宮沢賢治は、地質学や土壌学の専門家でもあり、貧困を極めていた当時の農民と生活をともにし、収穫量を改善しようと奮闘した。『グスコーブドリの伝記』は、そんな賢治の人生が反映された物語。「人間は自然とどう
『ボレロとヴァリエーション』は、1995年に初演された作品『ボレロ』を母胎としている。一組の男と女をつなぎ止め、あるいは突き放す時の流れに、ラヴェルの音楽「ボレロ」から聴きとった「いのちの絶えざるクレッシェンド」を畳みこんだ『ボレロ』。『ボレロとヴァリエーション』は、この『ボレロ』を踊るダンサーの実人生と『ボレロ』という舞台上の虚構の世界とが融合と離反を繰り返しながら、ゆるやかに進行していく。SP
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」(初演1748年)をもとに、関ヶ原の合戦から100年、討ち入りという祭典に向かって疾走する若者たちを主人公に、平田オリザが書き下ろした新作を100人の県民出身者を得て、ワークショップ形式にて制作する群衆劇。“討ち入り”という大きな運命の浪に翻弄される若い義士たちの疾走ぶりを、恋愛、家族、経済的事情といった個別のエピソードを交えながら描いていく、駿河湾を背後に抱く清水港イベ