なろうと思えば、人は何にでもなれる。博物館なあなた。いっぱいつめ込み、ブラさげている。カラッポなわたしの中を走り回って。
総勢24名出演の大掛かりな作品。会場はアクリル板や金網で仕切られた小部屋がいくつも配置され、動物園のように各所で同時多発パフォーマンスが展開される。後半は部屋がすべて持ち上げられポッカリ空いた空間で縦横無尽に走り回るパフォーマンスが展開される。
伊藤キムに加えメンバー10名が出演。大谷石採掘場にヒントを得た美術をバックに、右往左往する若者たちとその人間関係を描いた作品。
結成から10年を機に、過去の作品の場面を抽出し再構成した伊藤キム+輝く未来の集大成的作品。100着以上の古着を舞台美術として吊るし、過去から現在、そして未来へと続く時間の流れをたどる。
ラジオで踊る:会場に置かれたラジオで生放送を受信しながら展開される即興ダンス。観客とのやり取りも見どころ。F.T.:女性4人のみの出演で、バロック音楽に乗せ流麗かつコミカルなパフォーマンスが展開される。
一人の男が地球という悪夢の世界に堕ちてきたその男には、教育という名の拷問が待ち受けている
兄夫婦と弟は同じ家に住んでいる。妻への不信感から兄は弟に「妻と二人きりで一泊してきてほしい」と願い出る。そして、その間に起きたことを逐一報告するようにと。夏目漱石の『行人』のシチュエーションを借りて、変化していく三角関係の行き着く果てを描く。2016年Votage-2016 Kuandu Arts Festival参加作品。
A rabbit chased by tiny Alice chased by the author Carol. Who is chasing who? And who am I? You are here in the wonderland where you would never find the entrance or the exit. You have no idea where y
東京、アビニヨンで上演の伊藤キムと吉岡由美子のコラボ"綺女と珍獣プロジェクト"第2弾。コンセプトはパラレルソロ。同時進行していた二つのソロ(吉岡の"しおきばにて" と伊藤の"コレクター")がいつの間にかデュエットになっていく。両ソロともアウトサイダーたちをテーマに紡ぎ出された境界線上の踊り。Berlin Tagesspiegel 紙は、楽園で追いかけっこをして戯れている者たちの悦楽と追放された者た
1989年のベルリンの壁崩壊の後に、前衛アーティストたちによって占拠され、ベルリンカウンターカルチャーの中心となった旧東ベルリンのタヘレス劇場(1990-2012)に招待され、上演された。ダンスへの補助金がほとんど出なかった70年代、80年代に舞踏家の多くはキャバレーダンスによって、生活費や公演の制作費用を稼いでおり、金粉ショーはキャバレーダンスのハイライトとも言える。
Dance New Air 2016
私事だが最近結婚して、あらためて家族というものを目の当たりにしている。こちらの家族とあちらの家族、ぜんぜん違う。そこから生じる夫婦ふたりの生活スタイル・行動様式も当然違う。で、それぞれ両手を必死に伸ばして、わずかに触れ合う指先がその先の腕を互いにつかみ、ガッチリと離さないようにする。そうして家族は成立する。ひとつの細胞がどんどん分裂していくのが生命への過程ならば、家族は別々の個体がひとつに結合して
OSAKA DANCE EXPERIENCE
「身体の話」ひとつの身体から、様々な質感が次から次へと現われてえは消えていく、その変化の面白さ。機械的で硬質なもの、水のように滑らかな動き。空気のように漂う等々。伊藤キム独特のシャープで流れるような動きを存分に折り込んだ、即興性の強いソロ作品。「肉の言い訳」理性と本能、笑いと怒り、緊張と緩和、まじめと不まじめ、自己と非自己、芸術性と娯楽性。様々なバトルが繰り返される一個の肉の悲しくおかしい物語。
『兵士の物語』(The Soldier’s Tale )とは?ロシアの民話を元にイーゴリ・ストラヴィンスキー が作曲し、シャルル・フェルディナン・ラミューズ が台本に起こし、1918 年 9 月 28 日ローザンヌ劇場で初演された朗読とバレエと音楽により上演される作品で、巡業できるよう小回りのきく少人数で構成されている。あらすじは、休暇中の兵士が、故郷を目指す途中に一休みしてヴァイオリンを弾いてい