1939年9月1日早朝、ナチス・ドイツは、宣戦布告なしにポーランド攻撃を開始した。第二次世界対戦の勃発である。
ソ連も素早く介入し、ポーランドは二分される。そして、その頃のポーランドには350万人のユダヤ人が住んでいた。
ユダヤ人のヤンクル家とメンデル家の人達はナチスの手から危機一髪逃れることができ、ユダヤ人難民救援委員会のメンバーであるデビットの助けでリトアニアの首都カウナスのアパートに潜むことができたが、彼等を迎えたのは悪いニュースばかりであった。
各国の領事館は、ソ連の勧告通りに国外退去するため、早々と閉鎖していた。しかし、一つだけ手があった。まだ閉鎖していない日本領事館から通過ビザを発給してもらい、そのビザの効力で反ユダヤのソ連を通過し、日本に渡り、第三国に行く道である。
ユダヤ人達は、日本領事館に殺到する。日本領事館ではソ連の国外退去の勧告に応じるため、出国の準備が始められていた。その矢先のことであった。
領事・杉原千畝は本国に電報を打つ。「ユダヤ人にビザを発給してもよいか」
日独伊三国軍事同盟が結ばれる二ヶ月前のことである。当然、日本政府の返答は「発給スルナ」
ユダヤ人達は千畝に訴える。「タスケテクダサイ、センポ・スギハァラ」「コノコヲミゴロシニシナイデクダサイ、センポ・スギハァラ」
そしてナチス・ドイツは、リトアニアにジリジリと接近してくる・・・。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1972年創立。平和と人間愛を求め、”本当に人間らしく豊かに生きるとは何か”をテーマに創作劇を中心に上演。拠点となる板橋区の銅鑼アトリエ・劇場公演を実施、全国から世界へ作品を届けている。演劇上演の他に、”演劇の力を社会に生かす”ことを目標に地域や他団体と連携した各種ワークショップ事業も展開中。劇場のバリアフリー化にも力を入れている。
戦後。「高度成長」の初め頃ー。村の人々は貧苦にあえいでいた。産まれたばかりの赤ちゃんが、昔ながらにコロコロ死んでゆく。雪深い山奥の村。医師に給料が払えない。「国保」係の高野は村を歩きまわる。滞納を整理できなければ病院がなりたたないのだ。無医村の恐ろしさを知っているのは誰よりも村の人々。だが、村の人々は金を払えない。八方ふさがりの村をどうすればいいのか。教育長、深田は考える。まだ封建色の強い家の中で
ガンコ一徹、職人気質の社長が倒れた!!跡を継いだ息子は古い体質を改善しようと大改革を宣言!!が、従業員とのミゾは深まるばかり。働けど働けど報われない毎日。リーマンショック後の東京は大田区の町工場を舞台に、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、若者たちが大バトル。工場のおやこ三代を軸に様々な価値観がぶつかり合って、見えてきたものは・・・・・?
昭和4年、上野は谷中の太平洋画会研究所のアトリエで真剣に裸婦のデッサンに取り組む若き画家、靉光(あいみつ)、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介たち。そんな頃、まだすすきと大根畑におおわれた低湿地帯、池袋にポツリポツリとアトリエが建ち始める。貧乏画家たちは、一人また一人とそこに集まり、やがてその一帯は芸術家の街と化した。そろいもそろって酒好き、女好き、喧嘩っ早い。けれどいったん絵を描きはじめた
舞台せましと踊る若者たちが、素敵なメルヘンの世界をお届けします。 青い海にポッカリ浮かび上がった小さな島。この島から金鉱が発見され、貧しかった人々の心は浮かれ騒いでいます。ところが、そのかげに・・・今宵は年に一度のポセイドンの祭り。若者達は素晴らしい恋にめぐりあうため大忙し!!軽快なリズムにのせておくるミュージカルファンタジー。