(パンフレットより)
「四月の始まりと、異邦人が終わったあとの、あ、ストレンジャー」
三月も、もう終わります、
(つまりこの文章は、三月も、もう終わるって頃、ぼおんと、磨りガラスの窓の向こう、朝日が登り始めた、っていうのを、布団の中で眺めながら、書いています、)
もう少しで、四月が始まります、『あ、ストレンジャー』は、四月の始まりに始まって、四月の始まりに終わります、
(布団を出ることにします、机の上で林檎が腐っています、部屋を出ます、近所の小学生がワイワイと登校しています、子どもたちは頭がでかいから、すぐに転んじゃいそう、)
『あ、ストレンジャー』はカミュの異邦人の第一部までを、つまり、ムルソーという青年の母親が死んでから、五発の銃声を鳴らすところ、までをモチーフに描いています、僕なりに、ですが、
(電車に乗ります、いつも稽古をしている横浜へ向かいます、いい香水の匂いがする女性が、僕の肩に寄りかかり、寝ています、)
何かの拍子に、いつも通り、は、ぐらりと揺らいで、いつもの風景も、いつもの会話も、なにもかもが変わって、見えて、聞こえて、ムルソーが鳴らした五発の銃声すら、何かへの警鐘に聞こえて、ってことを、僕は、僕なりに、異邦人を、或いは、異邦人が終わったあとの異邦人を、作ってみようと思いました、それが『あ、ストレンジャー』なのだと、今は、思っています、
(そろそろ横浜に着きます、と、同時に、この文章も、そろそろ終わります、)
異邦人が、今、と、コミットしていくには、生まれ変わり、つまり、リボーン(Reborn)、の、作業が必要だったし、そのためには、異邦人に、僕の生活、日常を、リミックス(Remix)していく必要もある、と、僕なりには、感じて、つくっています『あ、ストレンジャー』。
三月も、もう終わります、四月も、もう始まって、それもいつか終わるんだけど、僕らの、Re、の作業は終わりそうにありません、三月末日。
2011.3.28 藤田貴大
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。2012年よりオリジナルの演劇作品と並行して、他ジャンルの作家との共作を発表。あらゆる形で作品を発表し、演劇界のみならず様々なジャンルの作家や観客より高い注目を受けている。
(パンフレットより)おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、それは時間がそうさせているだけであって、夜であることに変わりはなかった。たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。だけ
(パンフレットより)「コドモもももも、森んなか」昨晩は家で、ビールを飲んで、漫画を読んで、寝た。今朝はまた電車に乗って、銀杏の匂いが酷いなぁって思った。毎日を過ごす作業と、過去を思い出す作業、この先を考える作業。当たり前に日々繰り返す、その作業たちを、少し立ち止まって考え直してみた。舞台は、田舎の街。コドモしか出てきません。川があって、海に続き、駅があって、外に続く。僕が置き去りにしてきた街は、記
(チラシより)どこからともなく届く光は、自然から成されたものではないことは解っていた。いつかの誰かが、誰かへ向けて発した光だった。ある人は、その光を見て見ぬふりをした。ある人は、その光自体を無いことにしようとした。しかしわたしには届いていた。届いたからにはわたしからも光を送りたくなった。届く光に微かな瞬きを感じた。光が在るということは、その傍には誰かがいるはず。光の合図は確実にここまで届いている。
(チラシより)いつだってずっと、もう何年も。どこか内側に在るシーンというシーンは、眼裏で目まぐるしくリフレインしている。最速のスピードを持って、脳内を駆けめぐる。あの季節の、あの湿度のなかを走りつづけている。もしくは、歩いている。校舎のなかを。休み時間、教室から教室へ。廊下を、歩いている。なんともない日々の眺め。しかし、その平穏さが一変する瞬間。いつのまにか忍びよっていた影に気づかずに、ある瞬間。