「コドモも、モモも、森んなか」
いつか、
モモとゆう存在を、なくすのだとわかってはいたけれど、
やっぱりなくしてしまって、そのことがやっぱりおおきかった。
七月だった。モモが、なくなったのは。
かんがえちゅうで、
まだまとまらない。
モモが、なくなってしまって、鳴らなくなった音があった。
でもそれでも、物音がすると、モモじゃないかと振り向いてしまう。
まだモモが、いるような気がして。
音をさがす。
そんな時間を、
つくらなくちゃいけなかった。
コドモのころ、想像していた、
ちかい未来に味わうのだろう、
喪失、
が、ほんとうになった瞬間に、
喪失、
は、過去になった。
記憶になった。
だから作品にしようとしちゃってる、
この作業に終わりはあるのだろうか。
かんがえちゅうで、
まだまとまらない。
繰り返しても、喪失したあとの暗闇は、終わらない。
終わらなすぎて。
2013.11.17 藤田貴大
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
藤田貴大が全作品の脚本と演出を務める演劇団体として2007年設立。2012年よりオリジナルの演劇作品と並行して、他ジャンルの作家との共作を発表。あらゆる形で作品を発表し、演劇界のみならず様々なジャンルの作家や観客より高い注目を受けている。
(パンフレットより)今日さんの絵の、淡い水色の先に存する、おおきな暗闇のようなものに魅せられてしまった、どうしたものか。どうすればこれを、ぼくの。マームとジプシーでの日々の作業に、融合させることができるか。ずいぶん、長いこと。彷徨っていたようにおもう。やがて遠くのほうから。或いは、どこか切れ間から。郁子さんの音が、まるで降ってきたように、聴こえてきた瞬間があった。こうして、つながって。この場所、ひ
(パンフレットより)「しゃぼんのころ」本作品は、前作の『たゆたう、もえる』までの試みとは、たぶん違ってきていて。たぶん、っていうのは、明確に、そう、とは言い切れないって意味で。今までを断ち切って、全く変わって、今に至るわけでもなくて。でも、違ってきているっていうのは、その変容していく様子を、今の自分たちの現場から、どうやら感じることができているからである。変容していくっていう僕らの今と『しゃぼんの
(パンフレットより)おもえば、いつだって夜だった、たとえ朝がやってきたとしても、それは時間がそうさせているだけであって、夜であることに変わりはなかった。たまに笑ったのだとしても、それは夜に笑ったにすぎない。そうだ、夜だった、と我にかえって表情を失くすのだった。さいきん、ますます夜は暗闇を増すばかり、どうしたらこの暗闇から抜けることができるだろうか、なんてかんがえるだけ無駄かもしれない、もはや。だけ
マームとジプシーが小説家・川上未映子とタッグを組み、川上の書き下ろしの詩を含む6作品を俳優・青柳いづみの一人芝居として上演。2014年3月から約2ヶ月をかけて全国8都市にて巡演。