これは井上ひさしが紡いだ敗戦のひとつの真実。そしてラジオの魔法。
私はだれでしょう。だれであるべきでしょう。
ラジオはいつも人々のそばにあった。
戦時中は「大本営発表」、8月15日は「玉放送」。敗戦後、東京放送会館は建物をGHQに接収されていたが、
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」そして「尋ね人」・・・人気番組は多く、あの頃、ラジオを聞いていた。
これは戦後のラジオ放送にひたむきに取り組む放送局職員たちと、日系二世の軍人と、
そして”自分がだれだかわからなくなってしまった”風変わりな男の、歌あり笑いありミステリーあり、戦後日本の青春物語。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
魯迅は、いまさら言うまでもなく、アジアを代表する世界的文学者の一人です。たとえば、1927(昭和2)年、ノーベル賞選考委員会は上海へ特使を送ってきました。その年の文学賞を受けてくれるかどうか、魯迅の胸中を打診にきたのです。さまざまな不幸な理由から、魯迅はこれを断りますが、とにかく彼はそれくらい注目されていたのです。魯迅は、それから10年とは生きておりませんでしたが、ここに不思議なのは、彼の臨終に立
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
こまつ座と座付作者みずからが、愛してやまぬ戯曲『人間合格』。文学史上不滅の小説家太宰治の生涯をいきいきと描いて、はじける笑いとあつい感動が劇場をつつみこむ。
昭和庶民伝三部作 第一部
昭和庶民伝三部作・第一部 紀伊國屋書店創業60年記念提携公演昭和15年の浅草。小さなレコード店「オデオン堂」に4人の家族と二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、陸軍に入隊していた長男の正一が脱走して「非国民の家」扱い。追手がかかり憲兵が住み込みで見張りをする始末。ところが長女・みさをがたくさんの傷痍軍人と交わしてきた文通ハガキの中から選んだ源次郎と結婚するにいたって、今度は一転「美談の家」に
