これは井上ひさしが紡いだ敗戦のひとつの真実。そしてラジオの魔法。
私はだれでしょう。だれであるべきでしょう。
ラジオはいつも人々のそばにあった。
戦時中は「大本営発表」、8月15日は「玉放送」。敗戦後、東京放送会館は建物をGHQに接収されていたが、
「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」そして「尋ね人」・・・人気番組は多く、あの頃、ラジオを聞いていた。
これは戦後のラジオ放送にひたむきに取り組む放送局職員たちと、日系二世の軍人と、
そして”自分がだれだかわからなくなってしまった”風変わりな男の、歌あり笑いありミステリーあり、戦後日本の青春物語。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
『放浪記』で一躍文壇の寵児に躍り出た女流作家・林芙美子。奔放に生きてきた人生を写すが如く、原稿用紙に向かっていた。世間の風は戦争へ突入すべく、日増しにきな臭さが強まりはじめていたそんな中で、芙美子は人生の切り売りだけで小説を書くことに行き詰まりを感じていた。そして、時流にあわないという理由で出版した本が発禁処分されてしまう。芙美子につきまとい、金儲けを企むプロデューサー三木孝は、"戦さはもうかると
大衆演劇女座長、五月洋子が見たのは現実なのか?それとも夢なのか?日本最高峰の一人芝居『化粧』こまつ座での上演決定!! さびれた芝居小屋の淋しい楽屋。その楽屋に遠くから客入れの演歌が流れ込んでくるやいなや、大衆演劇女座長、五月洋子は、座員一同に檄を飛ばし始める。開演前の化粧支度の最中も、口上や十八番の出し物、母もの芝居「伊三郎別れ旅」の稽古に余念がない。その慌ただしい楽屋に、洋子をたずねてくる人がい
本作品は、 戦争で多くの国民を死に追いやった日本の 指導者たちの責任を問う、「戦争責任 問題」 扱い ますが、 登場人物たちが 使命を忘れるほど演劇 の稽古に のめり込んでしまう滑稽さ 、 人物の正体や思惑が徐々に明らかになっていくスリリン グさ、劇中歌「すみれの花咲く頃」の歌声があたたかな感動を呼び起こす様子など 、 そ の 根底 に あ る の は 時代を越えた演劇讃歌です。
