真綿が張られた1本の大きな枝が右手首に括られ、肩に背負われている。あたかも巨大な羽のように見える。傾いた首はゆっくりと傾き続け、静かにゆらゆらと動く。微細な振動だけが踊ることを形成していく。踊ることの衝動に真っ直ぐに向かいあったこの作品を観たニューヨーク・ヴィレッジ・ヴォイスの批評家デボラ・ジョーイットは「舞踏のジャンヌ・ダルク」と評した。山田せつ子のダンスの原点ともなる作品。
山田せつ子:長野県生まれ。舞踊家。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科教授。明治大学演劇学専攻、在学中に、笠井叡に師事。初期「天使館」にて舞踏を学ぶ。その後、1977年よりソロダンス活動を展開し1989年~ダンスカンパニー枇杷系「BIWAKEI」を主宰、現在はディレクターとして関わる。
山田せつ子と神領國資のデユオ作品。丸太で組まれた櫓と堆積された泥土、置かれた石は古代の祭儀の場所のように見える。動物を模するかのような神領國資の舞踏が生贄のような山田せつ子の舞踏と交差する。笠井叡が主宰する天使館出身の二人のこの作品は、天使館が踊ることと神秘主義を結びつけた要素が深く刻まれた作品とも言える。東京公演の後、フランス、シャトーヴァロン・ダンスフェステイバルに招聘されている。
舞踊家だった父へのオマージュを謳ったソロ作品
スフィアメックスでの『階(キザハシ)で踊る』から1年半ぶりの山田せつ子のソロダンス。ロンドン、ニューヨーク、サンクトペテルブルグ、ソウル、トロント、アヴィニョン、サンフランシスコ、世界が驚嘆した山田せつ子のソロダンス。ダンスはどのようにして生まれてくるのかー深い直観に貫かれたフォルムの変容は、見るものを踊りの発生の場に誘う。「ダンサーは見られることに耐えるための仕掛けをからだに持っている」なぜ踊る
東京日仏学院ホールにて初演。黒い衣装に包まれた山田せつ子が内省的な世界を動きに変換し続けていく。それに対し他の3人が神楽の稚児のように、緩やかなムーブメントを繰り返す。韓国の批評家・金泰源は「山田せつ子をはじめて見たときの衝撃は忘れられない。透明な意志と技巧の精密さは表現的ソロダンスの理想」と評した。現実を意識的に抽象化していくこの作品は、山田せつ子独自のダンスムーブメント、メソッドを明確にした。