天と地 / 火と水 / 水と油 / 生と死 / 豆腐と鉄鎚 / 右手と左手 / 石と紅 / 男と女 / 臼と杵 / 大便と小便 / 頭と尻 / 月とスッポン / 明と暗 / 無音と音 / 老子と孔子 / 兄と弟 / 金魚鉢と太平洋 / 赤と黒 / 狐と狸 / 花と龍 / 内と外 / 床と天井 / ヘビとネズミ / 鏡と人形 / 点と線 / 麦と兵隊 / 泥と砂 / 乾燥と湿潤 / 手と足 / 肘と膝 / 指先とつま先 / ひずみと泉 / 頼山陽と菅茶山 / イ草と黒牛 / 巫女と祝詞 / 水牛と姫 / 蹄と簪 (チラシより)
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
大阪・千日前の上方ビル4階にあった劇場。前身は、落語家や歌舞伎役者、新派の役者などが常宿とした旅館「上方」だった。1989年に廃業した旅館の跡地に、1991年に鳥居学により若手芸人の研鑽の場として設立された。寄席や講談、演劇のみならず、2001年までプロデューサーを務めた大谷燠の人脈を活かし、多くの舞踏公演も行われた。演芸場としての役目を十分に果たしたと、2020年3月に閉館後は、千日山弘昌寺の本堂となっている。
OSAKA DANCE EXPERIENCE
「この時代のこの日本という国が一つの水たまりであるなら、僕もそこに落ちるいってきの水。~ 僕が生きて来た中であえて分ければ、四つの印象に残るいってきに出会ったような気がする ~ そんな四つのいってきを踊りの中でまさぐりそれを通して僕という昼と夜を抱いたいってきをその水たまりに落としてみたい。」1995年1月17日には阪神淡路大震災が起こり、竹之内淳志は神戸へ馳せ参じたい気持ちと共に、鎮魂の想いを込
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去年に引きつづき「ピエタ」をダンスエクペリエンスで踊るわけですが、ピエタというイマージュは、もう十数年私の中で生きつづけ、なおその謎を深めながら変容しつつ、私を招きながら私が踊る動機にすらなっているのです。「ボクハ アナタガ ケッシテフリムカナイコトヲシッテイル。シカシ ボクガ シ ヲ ムカエルトキ ボクヲ ダクノガ アナタデアルコトモシッテイル。」(以下略、チラシより)
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「一、無音であること。一、即興であること。一、1時間1本勝負であること。一、直径2mの光の輪の中で踊ること。一、周囲を観客に囲まれていること。以上の条件のもとで踊ります。私のダンスにとって真に必要なものとはいったい何か。~ かつて身体ひとつになってしまったところから始まったのが私のダンスなのですが、音楽もない小さな照明のなかから、はたして何を伝えることができるのでしょうか。」
「生成(なまなり)」は、「全裸・不動・垂立」のソロ・パフォーマンスを展開していた岩名雅記にとって大きな転機となった作品で、1985年初演。自らの中に潜んでいる女性性を踊りたいと、初めてヨーロッパ近世の貴婦人のドレスを着て踊った。同年、岩名は自らの踊りを「舞踏」と呼ぶようになる。「生成(なまなり)」と呼ばれる能面は、角を少し生やした女面で、般若になる前の状態を表したものを言う。