OSAKA DANCE EXPERIENCE
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チベットには様々な不思議があふれています。「バルドゥ トェ ドル」とは、一般に "チベット死者の書" として知られている密教経典の原語名。死から誕生へと輪廻転生していく霊魂への導きを説いた世紀の奇書。この経典に想をとり、一九九五年西チベット・聖山カイラス巡礼行での体験を混えて創作した虫丸流立体マンダラ肉体詩の世界。踊り踊らんとて旅続け、酒飲まんとて人を恋ふ。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
大阪・千日前の上方ビル4階にあった劇場。前身は、落語家や歌舞伎役者、新派の役者などが常宿とした旅館「上方」だった。1989年に廃業した旅館の跡地に、1991年に鳥居学により若手芸人の研鑽の場として設立された。寄席や講談、演劇のみならず、2001年までプロデューサーを務めた大谷燠の人脈を活かし、多くの舞踏公演も行われた。演芸場としての役目を十分に果たしたと、2020年3月に閉館後は、千日山弘昌寺の本堂となっている。
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「身体の話」ひとつの身体から、様々な質感が次から次へと現われてえは消えていく、その変化の面白さ。機械的で硬質なもの、水のように滑らかな動き。空気のように漂う等々。伊藤キム独特のシャープで流れるような動きを存分に折り込んだ、即興性の強いソロ作品。「肉の言い訳」理性と本能、笑いと怒り、緊張と緩和、まじめと不まじめ、自己と非自己、芸術性と娯楽性。様々なバトルが繰り返される一個の肉の悲しくおかしい物語。
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舞踏を再考しようと大阪で1995年から2000年まで6回開催されたOSAKA DANCE EXPERIENCEの第1回参加作品。栗太郎率いる古舞族アルタイは、前年に北海道から活動拠点を関西に移し、栗太郎は丹波に移り住んでいた。「ワラズ」は丹波篠山の方言で藁のこと。農業と建築業をやりながら、お百姓や田舎をテーマにした作品を作りたかったという栗太郎は、そういう暮らしの中で救いようのない現実に内面的な救
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去年に引きつづき「ピエタ」をダンスエクペリエンスで踊るわけですが、ピエタというイマージュは、もう十数年私の中で生きつづけ、なおその謎を深めながら変容しつつ、私を招きながら私が踊る動機にすらなっているのです。「ボクハ アナタガ ケッシテフリムカナイコトヲシッテイル。シカシ ボクガ シ ヲ ムカエルトキ ボクヲ ダクノガ アナタデアルコトモシッテイル。」(以下略、チラシより)
この上演に当たっては確か9ヶ月になろうとしている母體真っ只中、體は刻々と変化していた。それそのものをどう作品にするかの試みがこの公演の醍醐味だった。胎児を育もうとする體は異常に睡眠を要求する傍ら、公演などという目論見に向かっており、育もうとする母體と公演を貫こうとする意志が、闘いながら交錯して出来上がって行った。