原民喜訳による、スウィフトの「ガリバー旅行記」を元にしたオペラ『ガリバー』。
ヒロシマで被爆した原民喜は、1951年線路に身を横たえ自死する直前にこの「ガリバー旅行記」をこれからの時代を生きる若い人たちに向け絶望ではなく希望の文学として再話した。
人間の愚かしさによって戦火が絶えず、ますます拝金主義がはびこる昨今、現代を予見していたとも思われるスウィフトと、若い人たちに希望を託した原民喜の願いをうけ、現代(いま)という時代を生きるすべての人々に向けて上演した。
[新しい日本オペラの創造と普及]を目的に掲げ、1971年に創立されました。母体となったのは、東京芸術大学内で1965年から12年間にわたって活動が続いた学生たちのサークル「こんにゃく体操クラブ」です。このクラブでは、故宮川睦子氏(元東京芸術大学名誉教授)指導のもと、身体訓練と演技の基礎訓練が行われました。「こんにゃく体操クラブ」出身者たちにより、自国語のオペラ作品をレパートリーとし、恒常的にオペラを上演する専門のオペラ劇団としてオペラシアターこんにゃく座は設立され、現在にいたります。
『魔笛』ではなく本来の『魔法の笛』というタイトルにふさわしい歌芝居として上演したいと計画した、こんにゃく座のモーツァルトオペラ第二弾。黒テントの新井純が客演。モーツァルトにこの作品を書かせたシカネーダーを登場させ、シカネーダー劇団が『魔法の笛』を上演する、という設定。タミーノ役はソプラノ、夜の女王とパミーナをひとり二役で上演した。
こんにゃく座が初めて挑んだ日本近代文学のオペラ化。1996年から2000年まで全国の高等学校などで旅公演をおこなった。2012年にはこんにゃく座創立40周年記念公演として再演した。
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
戦乱の最中 領主夫人に置き去りにされた世継ぎの赤ん坊を道連れに女中のグルシェは北の山国に逃げ延びる だが戦乱は収まり彼女は法廷に立たされた世に名高い白墨の輪の裁判の成りゆきは……それまで主に民話を元にしたオペラを上演してきていたこんにゃく座が、初めてブレヒトに挑戦したエポック的作品。再演。