バリアフリー化を余儀なくされる家。独り住む老婆は美意識を損なう老いを受け入れることが出来ない。娘や息子はさらにその先の改装・改築を考える。老婆は彼らにこの家を渡したくはない。同居の甘言を囁く子供達孫達と、歳を重ねるごとに性格が激しく歪む老婆との応酬。さらにこの家を設計した建築家、既に先立った夫の幻影と思い出が現在と入り混じり、ますます老婆の言動は乱れゆく・・・
清玄の足取りは覚束ない。その時一人の男、権助とぶつかる。権助の目つきはケモノのようである。清玄はその恐ろしい眼から、しかし視線を逸らさずにいる。権助もまた同様に。やがて互いに顔を背け、歩き出した瞬間、完全に点対称で動いた事に一瞬振り向く二人だが、気のせいだとそのまま歩んでいく。戦後復興の救世主、慈悲深き聖人と呼ばれる清玄の孤児院さくら学園。今日、『彼女』はそこから嫁ぐ。彼女が見つめる窓の外を楽隊が
ある夏の日、<友>が<私>を訪ねてくる…登場人物はその二人だけ。長い長い別れ話が始まった。■ものがたり蒸し焼きにされそうなある夏の日。畳の上で部屋着姿のまま床にはいつくばる「私」の前に、高校時代の同級生「友」が現れる。話を聞くと、自転車に乗ってずいぶん遠くから走ってきたという。久しぶりの再会に喜ぶ二人は、じゃれあうように会話を楽しむ。しかし、ふとしたはずみで出る「友」の言葉は、二人の間には埋めるこ
ある夏の日、<友>が<私>を訪ねてくる…登場人物はその二人だけ。長い長い別れ話が始まった。■ものがたり蒸し焼きにされそうなある夏の日。畳の上で部屋着姿のまま床にはいつくばる「私」の前に、高校時代の同級生「友」が現れる。話を聞くと、自転車に乗ってずいぶん遠くから走ってきたという。久しぶりの再会に喜ぶ二人は、じゃれあうように会話を楽しむ。しかし、ふとしたはずみで出る「友」の言葉は、二人の間には埋めるこ
医療事故で妻を失った自称漫画家。失意の漫画家は妻との思い出を燃やしてゆく。すると思い出は消えるが、代わりに強大な腕力が漲り次々と怪事件を起こしてゆく。愛国心溢れる漫画家の言う通り、その悲しみは日本のエネルギーに代わるのか。破天荒の漫画家と彼を取り巻く市井の人々と家族の物語。
会社でうだつのあがらないトキオは、レイコに思いを寄せながら、自分が彼女にふさわしい男だと思えない。ある日、永遠の時を手に入れられるという「神になる本」を目にしたトキオは、輪廻転生を信じ、意を決してビルから飛び降りる。こうして生死を超えて、愛する人を追い続けるトキオの旅が始まる。だが、それは「オイディプス」「ロミオとジュリエット」、はたまた「サザエさん」といった、すべて「あらかじめ用意された物語」を
ハンドル名「ヤリタイ」「シタイ」「小夜子」「天涯孤独」の4人が初めて直接会う「オフ会」が近いというのに、シタイからの連絡が途絶えてしまい、ある日、仲間全員にシタイから謎のEメールが届く。指示に従ってヤリタイたちが手に入れたのは、白い粉の入った謎の小瓶……。シタイは何の目的で白い粉を送ってきたのか? シタイは今どこにいるのか? そもそも、白い粉は何なのか? オンラインとオフライン。イメージと現実。生
独り暮らしの老女「ハルさん」は70歳。「イッコ」は小学5年の女の子。好きな人の名前が同じ「新一郎」という共通点を発見して仲良くなったが、少女と老女の意外な事実もまた明らかに……。イッコは学校にほとんど行かず、拒食症になっていること。ハルさんは末期ガンで余命幾ばくもなく、断食して死のうと思っていること。二人には「食べない」という共通点もあったのだった……。 死をどう受け入れるのか? 孤独とどう向き
僕の名前は羽山走次。8歳で小学校の3年生。それはある日、突然、起こったんだ。お父さんもお母さんも、いきなり子どもになっちゃった。お兄ちゃんも幼稚園児みたいだし、おじいちゃんはまるで赤ちゃん。どうしてこんな不思議なことが起こってしまったのだろう? それはどうも、ぼくの精神年齢だけが大人になった、ということらしい。つまり僕から見れば、精神年齢の低い人は学校の先生だろうが子どもに見えるってわけ。でもどう
都会の片隅に残され、今では粗大ゴミの不法投棄場と化した丈高い草の生い茂る原っぱで、予備校生のエイジは夜な夜なまっさらなキャンバスに映る影を写真に撮っている。それが彼の描く「19歳の絵」だ。ある夜、二人の男子高校生がベッドを捨てにやって来る。一緒に現れた女子高生を一人残し、彼らは去っていくのだが、やがて舞い戻ってきた男の一人・オサナイは「何してた?」とエイジに詰め寄る。エイジが女子高生・あきらと話し
壁なき演劇センターと国立ベトナム青年劇場による国際共同制作ベトナム現代演劇を代表する国立劇場の俳優と日本の俳優が融合し、舞台上で日本語とベトナム語が飛び交う現代感覚に彩られた情熱的でダイナミックでスピーディな『新たなチェーホフ劇』ワーニャとソーニャは長年セレブリャコーフの活動を支えてきた。そこへ彼が後妻エレーナを連れてやって来る。そこでワーニャは今までの自分の彼への献身が無意味だったことを知る。
原民喜訳による、スウィフトの「ガリバー旅行記」を元にしたオペラ『ガリバー』。ヒロシマで被爆した原民喜は、1951年線路に身を横たえ自死する直前にこの「ガリバー旅行記」をこれからの時代を生きる若い人たちに向け絶望ではなく希望の文学として再話した。人間の愚かしさによって戦火が絶えず、ますます拝金主義がはびこる昨今、現代を予見していたとも思われるスウィフトと、若い人たちに希望を託した原民喜の願いをうけ、
チェーホフ原作「三人姉妹」のオペラ化。器楽編成は、ヴァイオリン、アコーディオン、ピアノという珍しい編成。
1989年に初演した、ウィリアム・シェイクスピア原作、こんにゃく座座付作曲家である林光+萩京子共同作曲による、オペラ『十二夜』の改訂版。
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
モーツァルトの「フィガロの結婚」こんにゃく座版新演出。三度目となる挑戦で目指したのは、”ふたつのフィガロを作る”こと。名付けて“赤いフィガロ”と“黒いフィガロ”。2つのスタイル、2つのモチーフで2ヴァージョンのフィガロを作ってしまおうという企画。赤いフィガロは“西洋”、コメディア・デラルテの手法で祝祭的にカラフルな世界を描き、黒いフィガロは“東洋”、スタイリッシュに中世日本のバサラ(婆娑羅)をモチ
―これは井上ひさしが愛してやまない日本語に、不思議でかわいらしく、輝くような生命を与えてくれた、ある岩手花巻人の評伝劇―詩人にして童話作家、宗教家で音楽家、科学者で農業技師、土壌改良家で造園技師、教師で社会運動家。しなやかで堅固な信念を持ち、夭逝した宮沢賢治。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」そう信じた宮沢賢治が夢見たイーハトーボは果てしなく遠かった。
3歳から100歳まで、観て、聴いて、笑って楽しめる音楽劇!
河内の大名高安家の腰元にあがったお辻は当主道俊の後妻にはいり玉手御前とな る。 道俊の後継者には先妻の子、俊徳丸と妾腹の兄次郎丸がいる。次郎丸は俊徳丸 に家を継がせまいと陰謀をはかっている。その俊徳丸に玉手が懸想して、なにを血迷 ったか毒の酒を飲ませてしまう。そのために俊徳丸は重い病にかかり、失明してしま うのであった。
文七元結:博打好きの長兵衛が朝帰りすると、妻が娘のお久が帰ってこないと泣いている。探してみると、なんとお久は長兵衛の借金を返すために吉原に身を売っていた。もう二度と博打に手を出すまいと決心したところに川に身投げしようとする男が現れた。 綱館:頼光の臣渡辺源治綱は、悪鬼に襲われ腕を切り落とした。占いによればこの鬼が必ず腕を取り返しにくるから物忌をせよという。そこに叔母真柴が訪ねてくるが、その正体は…
佐藤信演出、結城美栄子の人形デザインをもって“結城座20世紀最後の落書き”に挑戦した。元お風呂屋さんのギャラリーで、初演よりほぼ100年後にデタラメ芝居、「ユビュ王」が蘇る。 ユビュ親父は妻のユビュおっ母にそそのかされてボルデュール大尉と結託してポーランド王を暗殺する。王位についたユヴュは貴族、役人、農民を殺し、ことごとく税金を課し、すべてのお金を独り占めしてボルデュール大尉まで投獄してしまう―。
あるとき、ある場所で、源氏物語最後の女性「浮舟」は、語り始める。 そして、それぞれの思いを千年の世に馳せ、口を開いてゆく人形たち。 源氏の君のこと、恋のこと…。 全五十四帖の物語も、彼女たちから見れば、ただ一つの物語-。 世界最古の小説「源氏物語」を佐藤信が演出。人形美術・山口小夜子、共演・鞠谷友子など、 魅力的なコラボレーションでお届けします。
第15回小田島雄志翻訳戯曲賞受賞『月は夜をゆく子のために』に続くトランスレーション・マターズ上演プロジェクト第2弾!森鴎外の翻訳と現代語翻訳で織りなす“市民悲劇”
一人の女をめぐり、男二人が命を懸けて闘う、愚かしいほどの愛と衝動今の時代に圧倒的に足りない、“生身の人間の熱量”を舞台上から浴びることができる、情熱的な演劇作品。 本作はスペインの伝説的劇作家、フェデリコ・ガルシーア・ロルカによる官能的な名作悲劇である。実際に起きた事件を元に1932年に執筆され、翌年にロルカ自身の演出によりスペインで初演、同年にアルゼンチンでも上演された、ロルカの3大悲劇の 1
「3.11以後の生活」を捉えるため、宮沢童夫が引いた補助線は「1986年の東京」だった。アイドル歌手の飛び降り自殺が盛んに報道され、チェルノブイリ原発事故が世界を震憾させた年の夏、屋上でビンゴゲームに興じる人々の姿は享楽的なようで、どこか乾いた虚無感をも漂わせる。その様子を眺めるのは、「欠落の女」「忘却の灯台守」、そして2011年に生きる映画学校の生徒たち。彼らの視線、撮影された映像をたどりつつ、
遊園地再生事業団#11
舞台はとある中学校の教室。体育の授業中、こっそりと持ち物検査にやって来た5人の教師による不穏な会話劇。1997年に起きた14歳の少年による連続児童殺傷事件や翌年の教師刺殺事件をきっかけに、少年のナイフ所有が社会問題となったことを背景に創作された作品。
遊園地再生事業団#6
大学の片隅に、校舎に囲まれた小さな庭がある。もう30年のあいだ、その場所のことを<知覚の庭>と学生たちは呼んだ。いまでは誰もその意味を知らず、庭のことをそう呼ぶのだと知る者さえ少なかった。荒れ果て、誰も近寄らず、ただの隙間のような場所でしかないが、かつてこの庭で、Marijuanaが育てられた。庭の土が、良質のMarijuanaを育てたという。1995年の秋。6人の学生が再び庭の土に種を蒔く。土は