【あらすじ】
舞台は南三陸沿いにある古ぼけた理髪店。
夜の7時過ぎ、営業を終えた店内で、従業員の佳子が店主の倉田の髭を当たっている。
佳子がこの店で働くようになって一月半、倉田にとって彼女の存在が密かな喜びとなりつつあった。
佳子と二人きりで過ごすひとときに、胸がいっぱいの様子だが、店の外は濃い霧が立ち込め、
何かが起こりそうな予感...。
するとそこに、店の扉を開け一人の男が入ってきた。
霧が晴れるまで休ませてほしいと言うが、どうも様子がおかしい。
普通の勤め人ではなさそうだ。やがて霧が晴れ、男は出て行くが、なぜか怯えている佳子。
戻ってきた男が語ったのは、意外な事実だった...。
― 劇評 ―
『子供騙し』を観劇後、後ろのアベックのものらしい感想が聞こえてきた。「最初はどうなのかと思ったけど、だんだん面白くなってきて。ねぇ?」と女の声が連れに同意を求めている。同感!と私が振り返って答えてあげたいところだった。
冒頭の20分ほどが寡黙で、間の多い会話がかわされ、見ようによっては芝居がかぼそくて、これはどういう毛色の、いかなる方向に進む芝居なのか、と観客は迷い始めるのである。それだけにその後の展開の妙よ!
南三陸のひなびた町の床屋が舞台。調髪する椅子に初老の男(緒形拳)がかけ、若い女(冨樫真)に当たらせている。
どうやら店主は独り身、この女性の存在がひそかな喜びになっているらしい。華やぐような大きな喜びではない。
人生の経験を積み、多くを望まない賢明さを体得しているような、穏やかな男の身ぶりの意味を、観客は芝居が進むにつれ反芻することになる。
演じる緒形拳の、諦念ではなく、慎ましいが充分に初々しいといった趣が何ともいえない濃い味わいを持つ。
そこへ、レインコートの男(篠井英介)が闖入してきた。
彼は探偵で、失踪したこの女性を追って東京からやってきたのだ。事態は二転三転、午後八時を過ぎるとオンナになってしまう探偵の変化がもう一つの見どころだ。
探偵が"オンナ"になるや過激で強引さを増していくというのが愉快である。長い台詞はマレで、あっても、センテンスは短く切り取られ、余白を味わう劇になっている。余白を埋めるのは、むろん、役者の"身体"であり、観客の蓄積である。
浦崎浩實(演劇雑誌テアトロ 2002年11月号より抜粋)
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
演劇・舞踊・音楽など既成のジャンルにとらわれず、観る側と、創る側がお互い夢を持てる舞台を創作し、届けたい。心を伝えられる企画・舞台創造・プロデュースを目指しています。平成6年6月、現代創作劇を創造活動の柱に演劇制作を開始。以降、旬の作家、俳優を起用し毎年2,3本の創作劇を中心にプロデュース公演を企画制作。全国ツアーを展開している。平成9年、次代を背負う若き演劇人発掘のため、オーディション選抜の「新人公演」を制作。また平成12年からは海外公演も積極的に取組み、文化交流を進めている。
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