W・シェイクスピアの名作を憎しみに焦点をあてた解釈で再構成し、レアティーズとの決闘をプロレスの肉弾戦で実現。くり返す因縁から抜け出せぬ人間のバカバカしさを描く。
1980年10月、大阪芸術大学(舞台芸術学科)の有志により結成。『蛇姫様』(作・唐十郎)で旗揚げ公演後、第2回公演以降は、座長・内藤裕敬のオリジナル作品を上演している。
今も昔も、演劇だけが生み出せる劇的瞬間を探り追いかけている。
いつも自問自答をくり返すように、人は自身の内部に人格が内在すると感じている。それを魂と呼ぶならば、私達の肉体は魂という使用人に操られているかも知れない。さあ、魂と対決する度に出よう。笑いと共に。
夜逃げした誰かのアパート、その捨てられた箪笥の中からびっくり仰天街ヘ迷い込む!先行き不透明な中、我々はどこに向かっているのだろうか。気が付けばそこは、入り口も出口もわからぬびっくり仰天街。逃げ出すつもりが近付いたり、堂々巡りの現代と私たちを遊んだ作品。
奥にはがらくたの山、傾いた柱、ふすまの横に喫茶店のカウンターがあり、はたまた床の間のある畳敷きさえも。ここはあるときは、帰らぬ父を待つ少年の暮らす海の家。またあるときは、喫茶店とアパートと民家がひしゃげた形で合体してしまった共同生活場。というのも、物語の背景には阪神淡路大震災の影が落ちているらしく、崩れて寄りかかりあった建物がここなのだ。居場所をなくし、生きるすべをなくした不在の父を求める群像劇。
正義の味方とは、それ自体が正義ではなく、正義の味方につく者のことである。ならば、味方につくべき正義を探さねばならぬ。私達の正義とは何か?それは家族?恋人?仕事?いや、私自身?社会正義が消失した今をさ迷う。