『聖ミカエラ学園漂流記』は、数十人の女生徒たちによる反逆のカーニバルを描く。それは暗黒の宝塚による金網デスマッチに駆け抜ける少女十字軍の叛乱なのである。悪魔と手を結ぶトリックスターには、美少女・美加理が扮し、「聖ミカエラ学園」は音を立てて崩れる。30余の女子中学生、女子高校生たちが歌うものは果たして何か? そして彼女たちは、どこに漂流するのか? 讃美歌と文部省唱歌の交叉する中、美少女・美加理が火を吹き、旅の踊り子が舞う時、金網デスマッチの暗黒の宝塚は、セーラー服を脱ぎ捨てて絶叫する。※作者・高取英による初演(82年)時の宣材(新聞)の文より
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1976年11月3日、明治大学演劇研究会・螺船のメンバーだった小松杏里・福士恵二・島達也によって結成され、冬雁子が続いて参加。1977年3月、明治大学内の螳螂アトリエにて『軌跡-ロウカス-』(作・演出/小松杏里)で旗揚げ。同年5月、麻布十番の天井桟敷館での公演『軌跡・改訂版』より大鷹明良が参加。以降、小松杏里のオリジナル作品のほか、寺山修司作品(『盲人書簡』77年、『疫病流行記』85年)やゲオルグ・ビュヒナー作『ヴォイツェク』84年、吉本昌弘作『ダブル・テイク』87年なども上演。80年より参加した美加理は80年代小劇場界のアイドルとして人気を博す。また、82年の『聖ミカエラ学園漂流記』を皮切りに高取英作品を続けて上演(『少年極光(オーロラ)都市』83年、『白夜月蝕の少女航海記紀』84年、『フランシスコ白虎隊二万海里』85年)、80年代小劇場演劇界で話題を呼ぶ。83年上演の、映画監督・川島雄三をモデルに描いた『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』(作・演出/小松杏里)は戯曲集にもなり、その後も再三上演された小松杏里の代表作でもある。12年間37作品と連続公開ワークショップの活動において、大鷹明良、冬雁子、美加理、長沢壮六、渡辺敬彦、阿部能丸、原サチコ、かんのひとみ、遠藤智恵美、新童龍二、武藤直樹、その他多くの個性的で魅力溢れる役者陣を輩出し、88年3月『螳螂版・森は生きている(改題:グレシアの森に)』をもって、12年間の活動に終止符を打ち、惜しまれつつ、解散。
上記以外の主な公演:『飛行少年・夢の乙丸』84年、『十月のオラトリオ』85年、『レプリカ』86年、『ストロマトライト』87年
日本の現代演劇ポスターデジタル化プロジェクト2023
150点の現代演劇公演のポスターをアーカイブ。公演のキービジュアルがデジタル展開され難い、1960年代から80年代を中心に、紙で現存するポスターをデジタル化。ポスターのセレクションは、1960年代以降の舞台芸術系のポスターを収集・保存、これまでも研究や数々の展覧会に協力する等、演劇公演のポスターに造詣が深い、ポスターハリス・カンパニー社代表の笹目浩之氏が担当。
『銀幕迷宮-キネマラビリンス-』は、「幕末太陽伝」「貸間あり」「しとやかな獣」などの作品を残し、45歳の若さで死んだ、奇才映画監督・川島雄三をモデルに、ひとりの映画監督の運命的な死の前日の一夜を描く小松杏里の新作オリジナル作品です。監督カワシマに大鷹明良を配し、陰から妖へと変貌するその妻を美加理が演じ、青白く燃え上がるスクリーンの彼方に恐山の雪景が現出する時、亡霊たちが、闇を引き裂く叫びと共に浮上