『忘れる日本人』に引き続き、震災後の日本人の姿を描く地点×松原俊太郎第4弾。かつてあった美しい山の隣に放射性廃棄物の山ができたという戯曲の設定を空間に落とし込んだ黒光りする急斜面の舞台で、汚染された土地で暮らす家族をなまはげをモチーフにして演じた。叫ぶことを怠けてはいけない、という信念のもとおくる新しい〈家庭劇〉とも言える本作は、松原俊太郎の第63回岸田國士戯曲賞受賞作となった。
千葉雅子×土田英生舞台製作事業
二十年前。暴力団組織の組長の妻だった女と鉄砲玉だった男。二人は抗争の時、ホテルにいた。関係がバレることを恐れた二人は逃亡する。その抗争は男の犯行ということにされ、警察から指名手配されてしまう。年月は流れ。彼らは名前を変えて、とある地方都市で隠れて暮らしている。女は五十歳を過ぎてもスナックで働き、男はヒモのようになっている。行きどころもない二人はしかし仲睦まじく暮らして来た。そんな二人の日常に、忘れ
「極私的」という言葉を発明した快快の恩師、詩人・鈴木志郎康を原作にした舞台です。快快がフラットな関係で共同制作を続けているのも、瑣末な事にこだわるのも、彼の影響かもしれません。彼の詩にはとにかく、ごちゃごちゃと自身の日々のことが書かれます。詩がそのまま本人です。なので、鈴木志郎康を原作にする=鈴木志郎康という人を原作にする、といえます。その詩人は、かっこつけず/リラックスしすぎず/適度に緊張し/頭
わたしたちは、そろっている。
振付・演出家の白神ももこのもと、独自の作品世界を展開するモモンガ・コンプレックスによる作品。白神は新型コロナウイルス感染症対策で外出自粛期間中、会えない人や行けなくなった場所への思いを馳せるなか「個と全体」について考えるようになった。そしてこの体験をさまざまな情景から一人の人間を浮かび上がらせる「伊勢物語」の構造に重ね、上演という集団で取り組む表現形態のなかで、どのように個の存在を放言し連ねていく