太郎「ピリッとしたもんが食べたいな」次郎「カレーなんてどうでしょう」太郎「なんやそれ」時代は1905年夏。場所は大阪近郊、吹田村にある庄屋屋敷「浜家」の玄関。浜家の家族や奉公人を中心に、屋敷に出入りする村人や、各地を回る薬屋などの姿を活写する。その背景には日露戦争を機に国民国家へ変貌する日本の姿があった――
父の三回忌に家族が集まる。色々あって弟は姉におチンチンを見せることになった。父の遺影を前に、姉は弟のおチンチンをながめ、涙を流す。涙の意味は誰にもわからない。父の三回忌の夜に、妹は兄と再会する。兄は17年前に交通事故で死んだ。事故があった電信柱のそばで、妹は兄と再会する。妹は33歳になっていた。兄はあの頃のままだ。認めたくない感情がある。自分のなかで居場所がない感情。ちゃんと認めてもらえない感情は
アンデルセンの掌編集『絵のない絵本』をもとに、泊篤志、イトウワカナ、ごまのはえの3名の劇作家が描く多彩な世界。「月がみていた」というシチュエーションで描かれた様々な劇世界を、想像力に乗って旅する短篇演劇集。
舞鶴に生まれ育った姉妹「みちよ」と「すみ」。二人の従姉妹で同じ家に住む「あきえ」。三人の女性の恋模様を、戦前の記憶、戦中の傷、戦後の生活とともに描きます。昭和を駆けぬけ、常によりそって生きてきた女性達の人生の記録。2018年~2020年に京都府舞鶴市で実施した「まいづる物語プロジェクト」。その集大成として執筆されるも、コロナ禍により上演できなかった戯曲『よりそう人』を、劇団で初上演した作品。
とある大学の解剖棟の地下の旧校舎と新校舎をつなぐ一本の連絡通路が舞台。そこに派遣アルバイトのアプリの指示で、深夜の大学にやってきた3人の女性。それとバイトで呼ばれた医学部生の2人。そのバイト内容は48体の研究用の献体(死体)を、旧校舎から新校舎へひたすら移動させることで。深夜にひたすら献体を運ぶ5人。そんな中、派遣アルバイトの1人が、献体が動いたのを目撃する。
女性型アンドロイドのしまむらとGUは『ゴドーを待ちながら』をサイバーシアタースペースで上演しようと申請をするが、上演許可がおりないまま初日を迎える。あてもなくスペースにログインして許可の降りない自分達ができることが何かないか模索する。いつしかその様は『ゴドーを待ちながら』の筋をなぞるように進む。
草サッカーの練習試合のために集まった町役場の職員たち。そして始まる作戦会議。だが、その内容は試合に勝つためのものではなく、なぜか負けるためのものだった。相手は町一番の大企業、いわゆる『接待サッカー』である。しかし、一人の新人職員がその作戦に異議を唱える。「僕、負けたくありません」圧倒的な正論に、ヘリクツで新人を丸め込もうと立ち向かう11人の戦士(同僚)たち‼最後に笑うのは正論か、ヘリクツか ――。