1989年のベルリンの壁崩壊の後に、前衛アーティストたちによって占拠され、ベルリンカウンターカルチャーの中心となった旧東ベルリンのタヘレス劇場(1990-2012)に招待され、上演された。ダンスへの補助金がほとんど出なかった70年代、80年代に舞踏家の多くはキャバレーダンスによって、生活費や公演の制作費用を稼いでおり、金粉ショーはキャバレーダンスのハイライトとも言える。
日本より、古川あんずを演出家として招待、tatoebaのメンバーとの共同振付で上演された。凍える寒さのベルリンに住んでいると、太陽の光の集まる陽だまりは、オアシスのように私たちを惹きつける。人間のみならず、獣や虫や花も光の中でほどけたり、闇の中でくつろいだり、さまざまに形態を変容させていく。光と闇の交錯の中で、生きとし生けるものたちの命のさまを タペストリーのように陰影深く織り込んでいった作品。
日々 ヴォルテージが高まっていった壁崩壊直前のベルリン特別地区の一角にあるバルハウス劇場を借り切って上演されたサイトスペシフィックパフォーマンス。劇場のあらゆる空間を踊りの場に変容させたいというデルタ・ライの考案を実現するために、総合演出、振付家の古川あんずを招聘。オーディションで集めた46名のダンサーと1ヶ月の稽古を経て上演。連日満員となり、しばし、ベルリン芸術家の間でも語り草となった伝説的作品