「私は今までに愛情を受けていると思っていたが、実は人形のように可愛がられていただけであり、一人の人間として対等に見られていないのではないか」「私は今までここにいるべきだと思っていたが、実はペットのように飼われていただだけであり、一人の人間として、対等に見られていないのではないか」ヘンリック・イップセンの名作戯曲「人形の家」を換骨奪胎し、現代的に描く構成演劇。
四人の女性、軍人、夫たち。理想と忘却の狭間で生きる人間の姿が滑稽に描かれるチェーホフの最高傑作『三人姉妹』。三浦基の初期の代表作をまったく異なる演出で再上演。四つん這いで床の上を這いずり回り、組んず解れつしながらでなければ言葉のやり取りのできない登場人物たち。生き続けなければならない人間の、持て余された人生たちがそのまま運動量に変換され、充満する。世界一フィジカルな静劇。
ゾンビ音楽でつづる死への行進。オペラの新領域がここに拓かれる! 死神に先導され、恐怖に踊りつつ死に赴く人々の列を描いた「死の舞踏」。死の普遍性を伝えるものとして、中世ヨーロッパ以来、さまざまな芸術作品、文学に引用されてきたイメージを、現代のアーティストによる「オペラ」として上演する試みがここに始まった。 クリエーションの起点となるのは、コンピューター制御された指がリコーダーやクラリネットなどの楽器
雑然とした空気が漂うある地方都市の駅前。冬、ある女の失踪をきっかけに出会いとすれ違いを繰り返し、やがて街全体を巻き込む大きな事件が起きる。そこには人の「死」の軽さがあった。避けられない終わりへ対峙する、間に合わない者たちの群像劇。
〈あらすじ〉地方都市。妹とその兄は小さな街で行方不明になる。お互いの存在の中のみで。2人は同じ街で生活を続けている。どこにも行けないままどこかへ消えた家族を思ったり忘れたりしながら。ある時、兄は思い出す。2人がすれ違う過去と、そのバスの行き先を。
あかちゃんとおとなのための演劇・ベイビーシアター
蛇口からしたたる一筋の水をめぐって、無言の人間がさまざまな姿態を見せる。1980年代の伝説的舞台、太田省吾の戯曲『水の駅』を、あかちゃんと大人のための演劇(ベイビーシアター)として全く新しい演出で上演します。極端に遅い動作で一瞬の生を切り取る手法を生かし、流浪する人間の姿を確かに描いた本戯曲。その中の人間の生の描写をあかちゃんと一緒に見ようという試みです。
あかちゃんとおとなのための音楽劇 ベイビーシアター
夫が、 死んだ妻を生き返らせるため地獄にやってくる。「振り返ってはならない」 たったひとつのこの約束を守り、 夫は妻と共に戻ってくることができるのか。ギリシャ神話をモチーフにしたオペラ「オルフェウスとエウリディーチェ」を、歌やリトミックをベースにしたダンスとともに彩る。あかちゃんと、 あかちゃんを迎え入れた大人たちに贈る、愛の物語。
妊娠・出産をめぐる日本の現状は、明るくはない。少子高齢化に直面しているものの、「産み育てやすい」環境整備は遅々として進まず。一方で「産まない自由」に対する社会的圧力も未だやむことはない。この閉塞的な状況に【擬娩(ぎべん)】という、一風変わった習俗の再起動を通してアプローチをする、演出家 和田ながら。本作は和田の2019年初演作品を、今回が舞台作品への初参加となるメディアアーティスト やんツーをコラ