作品ノート:
ヒトの移動は10万年前にアフリカ大陸から始まったと言われている。 そして今現在も世界で起こっている。 移動するという行為はあらゆる文明の発展を促しているが、同時に衝突を引き起こす原因ともなっている。 身体の移動行為自体が、コミュニケーションを誘発させる。ヒトは何故身体を移動させるのか。 どれだけ移動してみたところで、それは小さな庭を行き来しているに過ぎないのだ。 それでも、私たちには身体の移動が必要とされている。 理解のためではなく、共感のために。 絶対性のためではなく、多様性のために。
ただ、その場所へ、移動したという事実。それだけで良い。 それ以上もそれ以下もない。 説明も必要としない。 移動するという行為。 その行為から生じるクオリアを、我々は可能ならば共有する。 それは、そこに有る。 それを共有することの意味性は求めない。
ただ、庭があるのみ。 その庭は宇宙を現しながら、常に身体に内包される。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
1913年に創建された倉庫をリノベーションした文化施設。コンセプトは「芸術文化の創造発信」と「賑わいの創出」。コンテンポラリーダンスやアートを柱に、新進アーティストを世界に発信している。フレキシブルな機能を持つホールとギャラリースペースを有し、ダンス等舞台芸術公演や展覧会、屋外広場でのイベント等を通じて横浜の文化と観光のハブ機能を担う。
作品ノート:寝室、トイレ、台所整えられた美しき家庭はみ出た祖母、はみ出た母、はみ出た私は膝を揃えて「お帰りなさい」と微笑むの。私は一体誰なのかしら。
作品ノート「まっすぐ立つ」というあたりまえの姿勢を維持するのにどれだけの外的、内的力を要するか。一度投げ出された物体が様々な放物線を描きながら落下していくように、私達も一度放り出されたらそれぞれの軌跡を描きながら落下へ向かっていく。抗えない物理的な法則を受け入れながらも諦めきれない気持ち。抗いながらも全ての人に平等に与えられている物理的法則に対する安堵。重力に従って「もうこれくらいで」という気持ち
作品ノート:母親(ママ、おかあさん、おふくろ)とは、子を産み、育てる女性、もしくは、精子と結合し子供へと成長した卵子を提供した女性のこと。その定義は、非ヒト動物にも拡張可能であり、クローン化した体細胞を提供した動物を含めることもできる。母親の、社会的・文化的・宗教的な定義と役割は、複雑かつ相違があり、普遍的に許容可能な定義を特定することは難しい。̶Wikipedia より引用
本作品“BU” は、主に「舞」・「武」・「無」の3つの「ぶ」をアイデアの中心に据え、自分自身の人間として、そしてアーティストとしてのアイデンティティーを自分の中に見つけるために作りました。舞、武、無、歩、撫、不などたくさんの「ぶ」から得たアイデアをもとに進むべき道を探すために作った作品です。道はどこで始まり、どこで終わるのだろう? (中略) もし刀を握ったその瞬間が始まりで死が終わりだとするならば
