17才の友子は脳性麻痺で自分で動くことはできないが、両親や兄、ボランティアで唯一の友達の静香に囲まれて平穏に暮らしていた。ある日、友子の前に光という少年が現れる。夢…、初めての恋。母の心に戸惑いが、静香の心に嫉妬が芽生えようとしていた。
「命」、「生きること」の大切さを描き、2005年まで合計440回の全国公演を続けた作品。2002年、アシテジ・フェスティバルinソウルにフリンジ参加、世宗文化会館で上演。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
秋田雨雀・土方与志記念 青年劇場
1964年日本新劇界のパイオニア、秋田雨雀と土方与志に戦後教えを受けた俳優・演出家が中心となって結成。今日の社会を描く現代劇の創造を進める一方、青少年のための優れた演劇の創造を追求し、2024年には創立60年を迎える。また、小劇場企画として「戦後日本演劇が生み出した秀作」の掘り起こしにも挑んでいる。現在、年間3~4回の東京公演及びスタジオ公演、50~100回の地方一般公演など一般観客を対象とした公演と、年間100回程度の学校公演や子ども劇場での公演、文化庁委託「舞台芸術による子供の育成総合事業」公演など、年間200回近く、延べ観客10~15万人という公演活動を行っている。近年は学校での公演数が減少の傾向にあるが、様々な公演の形を追求し、青少年劇場公演の充実に努めている。また、1978年には「夜の笑い」と「かげの砦」の舞台成果に対し、第13回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞。1980年「夜の笑い」がフィレンツェ第13回国際演劇祭に招聘され参加。2002年「17歳のオルゴール」で、アシテジフェスティバル・イン・ソウルにフリンジ参加。2005年「銃口~教師・北森竜太の青春」で韓国14都市を巡演(日韓友情年記念事業)など、国際交流にも努めている。 劇団構成は20代から80代まで、劇作家・俳優に加え、制作部門や演出部門の専門家約20名も有し100名近いメンバーが年間を通して演劇活動に従事している。
山奥に一人住む祖母を訪ねた若い4人の孫たちが聞かされた奇怪な伯父・叔母の過去。果たして虚か実か?(「鍋の中」)関東大震災の余震が続く中、朝鮮人と〝ファイヤガン″をめぐって色めき立つ警察署(「ファイヤガン」)好評を博した「夜の笑い」に続いて時代と社会を痛烈に風刺する飯沢喜劇。
「愛とは」「結婚とは」そして「人生とは」をヒューマンなタッチで描く”ネアカの喜劇”
青年が死んだ。死因は心臓マヒ。26才、未来産業としての原子力にあこがれ、原子力発電所に就職して、七年目の死だった。息子はなぜ死んだのか。母親の、なりふりかまわぬ追求で知られていなかった事実がつぎつぎと浮かび上がる…。息子を思う母親のひたむきな愛があきらかにした原発の真実!1982年には福島や新潟、福井をはじめ、原発所在地や建設予定地など、日本縦断公演を実現。
1991年2月4日、早朝。天草・鬼木岬の民宿。一人の男が変死体で発見された。年齢は68歳。男は毎年この日、民宿の主人と二人「椰子の実」の歌を歌い、たおれた戦友を弔ってきた。県警による捜査が開始された。自殺か他殺か。疑いは連れの女、二人を追ってきた妻、そして民宿のすべての人々に向けられる。千田夏光氏の作品をもとに、あの戦争体験を若い世代に語り続けてきた瓜生正美が贈る社会派推理劇。