天草出身の巻多賀次郎は、上海を皮切りに大陸を渡り歩いた末、シンガポールに根をおろし、娼館「二十六番館」の主人となった。時は日露戦争前夜、多賀次郎と「からゆきさん」たちは、強い愛国心のもと、遠く離れた祖国と家族のために仕送りに精を出している。
ついに日本は日露戦争に勝利した。しかし、時代は、彼らの思いとは反対の方向に流れ出す―。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団俳優座に在籍していた10名の若手俳優たちが日本の現実を反映させた創作劇の上演を強く願い、1954年劇団青年座を創立しました。現在劇団員と研究生をあわせ約200名が所属。創作劇の他、海外現代戯曲、過去の秀作等、幅広いレパートリーを有しますが、創立からの基本理念は変わることはありません。今後も日本の創作劇上演を柱にした公演活動を続けることによって、日本演劇の民主的発展に寄与し、舞台芸術を通して日本文化の向上をはかることを目的として活動します。
8月15日、長崎平和公園の午後 人ひとり通らない砂利の道を 太陽がやいていた40年前の夏閃光、爆音、海鳴り、そして、あの雲 あのあと 美しい色と形の雲を見た者は生きのこったそしてー真夏の昼下がり 原爆を投下したパイロット アメリカの英雄 その人が長崎に出現した 心を病む男…彼はいったい何を求め この地にやってきたのだろうか―「ザ・パイロット」はことしの夏の物語であるこの舞台で起きるすべての事件は私
東京下町、戦前からの老舗甘味処「笹本」。女将・諒子はかつて広告代理店に勤めるキャリアウーマンだった。時代はバブル景気真っ只中、男と肩を並べバリバリ仕事をこなし恋も遊びも贅沢に楽しんだ。四十を目前にした頃、両親が相次いで亡くなり、ようやく立ち止まった諒子。気づけば恋の相手は皆結婚、バブルも終わりお祭り騒ぎの毎日は終わった。諒子は退職し、両親が残した店を継ぐ決意をした。それから十数年、この小さな町での
劇団青年座創立四拾周年記念公演:1
平将門をめぐる権謀術数に明け暮れた男達の汗と血潮と、そこにからみつく女達の激情に翻弄された人々の愛のものがたり。京都に壮大な平安文化を繰り展げてきた公家社会にしのびよる新しい勢力、武力をもってその存在を中央に認識されようとする時代に将門は生きた。いつの時代にも大きな転換期に登場する英雄にまつわるものがたりは哀しい。しかし、人々は、地にへばりついて生きながら、彼等のものがたりを語り継いできた。それは
お寺の池に棲む蛙たちにとって、百舌や蛇や鳶たちは、生活や生命をおびやかす憎い敵であった。何故こういう目に会いつづけるのか―。それをにがにがしく思う若者がいた。ブンナだ。広い空への憧れから椎の木に登るブンナ。彼はそれまで自分の敵であった百舌やねずみや蛇たちが、無残にも鳶の食糧となり、死んでゆく姿をみる。一つの死が一つの生へとつながっていくという生きていることの実態、その意味を知ったブンナがもたらした
