土岐は1963(昭和38)年、金融業者の武市浩蔵は妾駒代の家で急死する。報せを聞いて本妻の松子と浩蔵の妹タキが駆けつけた。お互い’カボチャ婆’”電気クラゲ’’キツネ’と陰口をきいている三人の遭遇である。四十九日も無事に済ませ松子は一安心するも、タキが兄の家に住むのは当然と押しかけてきた。さらには駒代も新橋の料理屋の普請が済むまで部屋を貸してほしいとこれまた居座ってしまう。かくして本妻と妾と小姑、一筋縄では行かない三婆が一つ屋根の下に同居することになった・・・。
有吉佐和子原作、小幡欣治脚色による「三婆」は東宝現代劇での初演以来繰り返し上演されてきました。文化座では1977年に初演、そして1978年から79年、1988年から1990年にかけ二度にわたる全国公演で啓350ステージ以上を重ね、劇団の代表作の一つに数えられます。要望の絶えなかったこの作品に、いよいよ満を持して、新キャスト、新演出で挑みます。
老いること、生きていくこと、そして人と人との繋がりを、笑いと涙の中でいままた考えてみたいと思います。社会性とエンターテインメントを兼ね備えた人間喜劇の傑作にどうぞご期待ください!
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
劇団文化座は戦時下の1942(昭和17)年2月26日に結成される。同年4月第1回公演梅本重信作『武蔵野』で旗揚げ。敗戦間際の昭和20年6月、日本の現代劇の紹介という名目で満州に渡り2か月後に敗戦を迎え、一年間の難民生活を経て帰国。以来、「戦争と日本人」にこだわった作品、日本の底辺に生きる人々に寄り添った作品、現代を映す鏡となる現代劇を生み出し続けている。
1985年秋、原発にほど近い若狭の寒村・冬の浦。突如アメリカからやってきた娘キャシー・マクレインの出現で村は俄かに活況を呈する。キャシーの母・松宮はつ江はアメリカに渡って結婚し一児を得たが、やがて離婚、娘を残して行方知れずになっていた。その母に会いたくて彼女は母の故郷を訪れたのだった。人ともすぐ打ち解け、フィリピンから来この村の嫁になっているホキとは大の仲良しになる。そして何よりはつ江の父、つまり
新しく日本の元号が変わって、昭和という時代はまたひとつ過去の時空へ遠のいていった。昭和……大きな敗戦を経験し、復興を果たした日本人は、ついに高度経済成長期を迎えて、めまぐるしく変貌した。この作品は、そんな反映と華やぎの陰で、じくじくと己れの肉体を蝕まれ、生命さえも脅かされた人々の声なき声を描いていく。
20世紀の幕開き、ある英国貴族軍人と日本人女性の間に芽生えた愛。それは20世紀の激動の時代に翻弄され、数奇な軌跡を辿っていった……十数年前に発見された、英国軍人から日本人女性に送られた日本語による千通に及ぶ手紙をもとにNHKラジオの特別番組「日本人になりたかった男」が放送されたのは昭和62年夏。大きな反響を呼ぶ。そして、二人をめぐる家族の物語として「ピーチブロッサムへ」が出版された。1902年「憧
今も昔も津軽富士、お岩木山は津軽の衆の守り神。おいわきさんのそれはそれは大きな池がありました。戦乱の世が続き、織田・豊臣・徳川と天下が移り変わるなかで、平穏だったこの土地にもさまざまな人やものが流れ込んできました。ところで、この池に住む「てながえび」のてはどうしてこんなに長くなったのか――。この池にやってくる人間や、池に棲みついた「あししばり」という妖怪が登場する幻想的な物語は、なんとも愉快なほの