私たちは、人を泣かせたり、笑わせたりしている会社です。
座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
1945年8月下旬。連鎖街に立つ「今西ホテル」の地下室では、二人の劇作家が絶体絶命の窮地に陥っていた。ソ連軍の命令で、なにが何でも芝居をつくらねばならぬホテルの支配人とボーイ長。「木を隠すなら森に。ウソを隠すには、もっと大きなウソを」大車輪で台本を書き上げ、総員で稽古にかかる。知恵のありったけを絞りだした「大ウソ」芝居のできばえは…、そして恋の行方は…
1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。 自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。 さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。 朗読劇上演
ラサール石井脚本・監修コント
これは井上ひさしが紡いだ敗戦のひとつの真実。そしてラジオの魔法。私はだれでしょう。だれであるべきでしょう。ラジオはいつも人々のそばにあった。戦時中は「大本営発表」、8月15日は「玉放送」。敗戦後、東京放送会館は建物をGHQに接収されていたが、「復員だより」「街頭録音」「のど自慢」そして「尋ね人」・・・人気番組は多く、あの頃、ラジオを聞いていた。これは戦後のラジオ放送にひたむきに取り組む放送局職員た
