1942年、アメリカ。ルーズベルト大統領の行政命令により、十一万人の日系人が強制収用所送りとなった。収容所の数は国内に十か所。前年の真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまり、アメリカは日系人の隔離政策を行ったのだ。
自国民を日系であるという理由だけで市民権を剥奪し、収容所に閉じこめ監視する。合衆国憲法違反である。
さて、舞台はカリフォルニア州の砂漠地帯マンザナ。バラックの強制収容所の一室。
朗読劇上演のために日系女性五人が集められた。ここマンザナが強制収容所ではなく、住民の自治で運営される素晴らしい町なのだと、住民たちに朗読劇で宣伝しなさい、というわけである。集められた五人は、ジャーナリスト、浪曲師、手品師、歌手、映画女優。
朗読劇の演出にあたって、ジャーナリストのソフィアは考えた。「民族がたくわえてきた膨大な量の記憶のお粥、日本独自の文化を、アメリカ文化の大鍋に加えたい」
やがて、朗読劇の作者は誰か、の疑問とともに、ある事実が発覚する。それをきっかけに五人は、黄色人種を迫害するアメリカは、全体主義ナチドイツと同罪であり、アジアを侵略する日本と同罪である、という認識にいたる。
ジャーナリストのソフィアは大統領へ抗議文を送りつづけた。やがて、危険思想の持ち主とみなされたソフィアは、さらに別の施設へ送られようとするが…。
演劇博物館別館6号館3階「AVブース」にて視聴可能です。
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座付作者井上ひさしに関係する作品のみを専門に制作、上演しています。
1983年1月に創立し、84年4月『頭痛肩こり樋口一葉』公演で旗揚げ。
以降、新作、再演、こまつ座旗揚げ以前の井上作品も織り交ぜて、出演者・スタッフとも作品ごとに依頼し、その作品だけの一座を組むプロデュースシステムをとり、年平均4~6作品(200~250ステージ)を上演し続けています。
趣向がすべて!喜劇、ミュージカル、日本語、推理劇、そしてどんでん返しの連続好きなものをこの一作にすべて注ぎ込んだ井上ひさしの劇作の原点が今ここに――。♪日本人による日本人のための和製音楽劇(ミュージカル)♪東北へのオマージュを込めて10年振りの上演。1985年のこまつ座初演より『日本人のへそ』を見つめ続ける栗山民也が最上級の愛を捧げ、大胆・巧緻を極めた演出により綺羅星のように輝く俳優陣が躍動する。
1994年、戦後49年目の年に誕生した二人芝居『父と暮せば』。1995年より日本各地を巡る全国公演を開始。戦後60年を迎えた2005年までに、通算368ステージを数え、『紙屋町さくらホテル』『リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン』の原点ともなった。女優栗田桃子を迎えて、装いも新たに上演。次世代に語り継ぎたい、井上戯曲の傑作にしてこまつ座のライフワーク。
戦後"命"の三部作 第3作
井上ひさしが長年願った『父と暮せば』の対になる作品を残す、という構想を受け継ぎ、名匠・山田洋次監督が製作し大ヒットを記録した映画『母と暮せば』。長崎で被爆した母と亡き息子の幽霊の交流をつづった監督初のファンタジー作品は深い感動をよびました。舞台『父と暮せば』、『木の上の軍隊』に次ぐ、井上ひさし「戦後命の三部作」第三弾として、母と息子、そしてすべての「命」をつなぐ、深く温かい物語をお届けします。
かつて庶民の希望であり、羨望の的だった「大衆演劇」移り変わる時代に翻弄され衰退する一座。その楽屋から漏れる光と影...そして夢。人情・縁...人生。数々の名台詞が、舞い散る雪のように降り積もる。女座長・中村梅子一座は、人気の老舗大衆演劇一座だった。しかし時代はまさに戦後の娯楽ブーム。役者は次々と去り、わずかに残った役者にも不平不満が渦を巻く。問題山積みの一座を救おうと、座長が運命をかけて演じた一世